徳島県上勝町で平均年齢70歳の町民が取り組む「葉っぱビジネス」を起点に、地域活性のヒントを探っていく、シリーズの2回目です。
前回のお話では、「葉っぱビジネス」の発想の起点となった2つの転機について紹介しました。2回目となる今回は、「葉っぱビジネス」を軌道にのせるために取り組んだ、市場調査の話をお伝えします。
大赤字となった最初の失敗
私は1979年に徳島市内から上勝町農業協同組合へ営農指導員として赴任し、農家の所得向上について策を練っていました。そこで思いついたのが「葉っぱビジネス」です。田舎にある葉っぱに、都会では商品としての需要がある。大阪のお店で若い女性3人組の会話を聞いたことでそれに気づきました。
しかし、チャンスだと思い上勝町の人に葉っぱを売ることを提案してみたところ、最初は誰も相手にしてくれません。それならやってくれる農家さんを自分で見つけようと、一軒ずつ足を運ぶことにしました。昼間は仕事があるので、泊まり込んで夜を徹して口説く。昔から粘り強さだけは誰にも負けなかったので、根気負けしないように気をつけていました。
そのような活動を続けるなかで、「横石さんがそんなに言うならやってみよか」と言ってくれる人が出てきて、1986年にまずは4人の農家の方々の協力を得てスタートすることになりました。早速パッケージ制作に取りかかり出荷を開始。大きな期待を背負って大阪と東京の市場に出荷してみました。
ところが、値段がつかず、1パック5円~10円もの大赤字となってしまいました。出荷をお願いした4人にも落胆のムードが……。このままでは駄目だ、何とかしなければと思いました。よそから着任し、地道に信頼を獲得していき、アイデアを発想して、やっと数人が賛同してくれた「葉っぱビジネス」。最初からうまくいったわけではありませんでした。
商品が使われる現場を知る
どうしたら売れるのだろうか、何が足りないのか。悩み、出口が見つからないとき、知人からこんなアドバイスをいただいたのです。「あんたは、これを使っている現場を見たことがあるの?料亭で使われているものなので、現場を見に行かなければ駄目だよ」と。
なるほどと思いましたが、会社員である自分には料亭なんてとても行けるようなところではない。敷居が高すぎて無理だと判断しました。しかし「一度だけ行ってみるか」と考え直して予約を入れたところ「いいですよ、どうぞお越しくださいませ」との回答が。早速行ってみることにしました。
実際に料亭に行くと、なんとも親切丁寧な対応に驚くばかり。どこから採ってきたのか、なぜ使うのか、いつ使うのか、どういうものが求められているのかを詳しく説明してくれたのです。「これが分かれば売れる」と思って急いで翌日、町長と組合長の元を訪れ「もっと料亭へ勉強に行きたいので、お金を出してもらえないでしょうか」と直訴しました。
すると …