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ある広報人の告白

記者との信頼関係を築くには、自らを正当化せず本音で話すこと

日本旅行業協会 矢嶋敏朗

様々な領域で活躍中の広報パーソンに、転機となったエピソードや仕事における信条、若手へのメッセージなどを伺います。

一般社団法人 日本旅行業協会 広報室長
矢嶋敏朗(やじま・としろう)

1987年日本旅行入社。営業を経て92年から約6年間、広報室で社外・社内広報を担当。いすゞ自動車とのタイアップ企画「日本1周バスの旅」では、テレビ局2社が全行程ツアー同行。1カ月間訪問する全国のマスコミで報道されたことは、広報人生最大の思い出。その後、通販型旅行商品企画、新規事業、広告会社出向などを経て、2009年広報室へ復帰。2011年から室長。2016年に日本旅行業協会に出向し現職、旅行業界の「顔」として活動する。このほか、東洋大学で非常勤講師としてツーリズムを教えている。

日本旅行の広報を経て、約1200社の旅行会社が加盟する日本旅行業協会(JATA)に出向中の矢嶋敏朗氏は、旅行業界を担当する記者や広報の間では知られた存在。矢嶋氏に仕事術や広報の面白さを伺いました。

話題がなければつくればいい

──広報の仕事を始めたきっかけは。

日本旅行に入社して5年目に、志願して広報室に配属されました。それまでは団体旅行の営業担当でしたが、会社の名前が広まれば営業にもプラスですし、社内に一体感が生まれると考えたのです。1台1億円の特注バスで行く一人112万円の「日本1周バスの旅」を企画したのもこの頃。上司には広報としての話題づくりと言っていましたが、取材対応と称しツアーに同行、“自分のつくったバスを日本中乗り回したい”というのがが本音でした(笑)。バスごと情報番組に生出演したりもしました。

その後広報を離れ、新規事業や格安ツアーの販売なども経験しましたが、向いてない仕事もありつらい思いもしました。「矢嶋は広報が天職だから」と恩人と慕う現在の会長に言われ、2009年に広報に戻ったのです。広報室長を経てJATAに出向し、現在は旅行業の価値向上に取り組んでいます。

緻密に戦略を練るより、走りながら考える方が得意なんです。広報には必要なことだと思っています。

──格安旅行の「てるみくらぶ」倒産の一件では、JATAも対応に追われました。内定者の就職説明会が話題になりましたね。

旅行会社を30社集めて、内定取消者を対象とした面接会を主催しました。運営から報道対応まですべてを担当し、35人中29人が内定、メディアにも数多く取り上げられました。企画から手がけるのは日本旅行の頃から。業界3位前後の会社には、黙っていては取材に来てくれません。「話題がなければつくればいい」と考えていました。

広報は役員に信頼されることが重要。無理と思える要望ものみ込めば、好きなことをしても許してくれますよ(笑)。自分の趣味と、つくる人の個性、メディアの関心を考えながら企画をしています ...

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