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ある広報人の告白

アナウンサーに難民支援、その先に広報の仕事があった

国際連合広報センター 根本かおる

様々な領域で活躍中の広報パーソンに、転機となったエピソードや仕事における信条、若手へのメッセージなどを伺います。

国際連合広報センター 所長
根本かおる(ねもと・かおる)

1986年大学卒業後、テレビ朝日でアナウンサー・報道記者を経て96年から2011年末まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でトルコ、ブルンジ、コソボなどに勤務し難民支援活動に従事。ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。2004年から2年間、国連世界食糧計画(国連WFP)日本事務所広報官。フリー・ジャーナリストを経て、2013年8月から現職。近著に『難民鎖国ニッポンのゆくえ』(ポプラ新書、2017年5月)。

アナウンサー、報道記者を経て、留学をきっかけに国連機関の職員に転身。現在は国連広報センター所長として日本国内向けの広報活動に取り組む根本かおる氏に、国連広報の仕事とその信条、これまでのキャリアについて伺いました。

テレビの仕事から国連へ

─これまでのキャリアと広報との出合いについて教えてください。

テレビ朝日で8年勤めたのち、米国の大学院で人権・人道問題を学び、国連の仕事に興味を持ちました。そして1996年から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員として、世界各国で難民支援活動の運営や難民の権利の保護に携わりました。

広報専門職としては、2004年から2年間、国連世界食糧計画(国連WFP)日本事務所の広報官を務めたのが最初です。メディアでの経験と、国連の経験の双方が活かせると思い挑戦することにしました。

UNHCR在籍時も、活動への理解や共感を得るためには現場のストーリーを伝えることが大事だと考え、日本のメディアへの寄稿を通じて発信するようにしていました。そのためか、広報の仕事にはスムーズに移行できたと思います。次の転機は2011年の東日本大震災。多くの人が家を失い、避難せざるを得ない状況が日本で発生したことにショックを受け、帰国を決意しました。フリーのジャーナリストを経て、2013年に現在の職に就きました。

広報職を目指してきた意識は特にないのですが、メディア企業と国連を経験した私の自然な帰結が広報でした。いまも現場で試行錯誤しながら学んでいます。

─国連の広報はどんな仕事ですか。

国連広報センターでは、国連加盟国のうち日本国民の皆さんが私たちの「カスタマー(顧客)」です。国連は遠くにある存在ではなく、皆さんが議論に関わることができるフラットな場であることを伝えるため、活動について紹介したり、協力してほしいことを発信したりしています。日本からの期待や人材についてをニューヨークの国連本部に伝える役割もあるので、国連と日本との架け橋を担っているともいえます ...

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