いま世の中で話題になっているCMをつくっている人たちはどのように企画を考え、映像を作り上げているのか。第3回目は、ニチガスのCMを手がける岡田文章さんにインタビューします。
正反対の師匠の下で修業を積んだ若手時代
足立:岡田さんがCMプランナーになったきっかけを教えてください。
岡田:僕は小学生の頃から自分でCMを集めたオリジナルビデオをつくっていたほどのCM好き。当時、すでに将来はCMプランナーになりたいと思っていました。
博報堂に入社してからの5年は東京で、戦略面に長けているCMプランナー出身のCD 石井昌彦さんの下で働きました。石井さんは「新人が考える案は、打ち合わせの種。とにかく数を持ってきて」というタイプの師匠で、とにかく毎日案を考え、コンテを書き続けていました。5年目に大阪へ異動になり、石井さんが「自分と正反対」という関西の大御所CD 瀬戸俊昭さんの下に就きました。実際、お二人は考え方が正反対で、瀬戸さんは「自信のある案だけ持ってこい。たくさん持ってこられても知らん」という師匠でした。
足立:正反対の2人の師匠の下で経験を積んだというのは面白いところですね。
岡田:ラッキーだったと思います。東京の5年は、ただ面白いCMを考えるのではなく戦略面を徹底して叩き込まれました。一方の大阪では理屈ではなく、15秒という短い時間でいかにお茶の間を振り向かせるか、そのスキルを磨くことができました。どちらの下でも5年ずつ働いたので、僕の中には両方が培われていると思っています。
演出までを手がけるCDを確立
岡田:大阪から東京に戻ると会社の体制が変わっていました。CMプランナーという肩書きがなくなり、コピーライターかデザイナーという肩書きでCMを考えるスタイルになっていました。でも、僕には絶妙なセリフや間が伴うCMは、プランナーにしか考えられない、というこだわりがありました。そのセリフは横顔で狙うのか、何秒かけて言うのか、など、全体の構成まで描けることこそ、CMプランナーの存在意義だと思っていました。
足立:演出コンテに近い感覚ですね。
岡田:そうです。入社1年目から石井さんに「お前のコンテは演出コンテみたいだ」と言われていました。その頃から演出に対する憧れは強かったんですが、なかなかチャンスがなかったんです。大阪時代も八木敏幸さんなど、すごい演出家と仕事をしていたので、自分が演出をするなど考えることもありませんでした。でも、入社10年目の頃でしょうか、CDとプロデューサーが演出のチャンスをくれたんです。
その後も、出稿量が多めな、規模の大きめなお仕事を立て続けに担当させていただけまして。本当にラッキーでした。今日まで演出もするCDとして、色々な業務を担当させていただきましたが、当初は、「CDに徹したほうがよいのでは」という助言を受けることが、当然のことながら、多かった。でも、演出まで手がけることが、他のCDとは違う僕の"武器"なんだと、自身含め、言い聞かせまして(笑) …