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映像ディレクター座談会

映像ディレクター座談会「プロのディレクターとして生きていく」

柿本ケンサク×神谷佳成×関 和亮×タナカノリユキ×伊藤洋介

メディアやテクノロジーなどの進化で、今や誰もが自作の映像を発信できる時代。そんな中で、プロとアマチュアとの違いは何か?現在プロとして活躍するCMディレクターは、どのようにしてプロになりえたのか?4人のディレクターに、伊藤洋介さんが話を聞いた。

4者4様、ディレクターへの道

伊藤 皆さんがそれぞれどのようにCMディレクターになったのか、教えてください。

柿本 中学生の頃からとにかく映画監督になりたくて、高校卒業後は映像の専門学校の映画監督コースに入りました。学生時代は自主映画を撮りまくっていて、コンクールで受賞したのを機に、学校の紹介で中野裕之監督のアシスタントをすることになりました。そこで昔の「カウントダウンTV」のMVを見る機会があって、自分が知らない間に大きな影響を受けていたことに気づき、MVを撮ることに興味を持つようになったんです。

伊藤 柿本さんの最初のCMの仕事は何だったんですか?

柿本 22歳位の時にスズキのバイクのCMを撮りました。でも、その後は26~27歳ぐらいまで、とにかくMVを撮りまくっていましたね。年間100本は超えていたと思います。

伊藤 関さんも子どものころから映像に興味があったんですか?

関 映画好きの父親の影響で、映像を作る仕事につきたいなと漠然と思っていましたけど、監督や演出家になれるわけがないとも思っていたので、普通に理系の大学に進学したんです。だけど身が入らなくて、やっぱり映像の仕事をしたいと思い、3カ月で中退して居酒屋でバイトをはじめて。その店の店長に映像の仕事をしたいと話したら、たまたま店長と錦織良成監督が友人で、錦織監督の下で働けることになったんです。

伊藤 絵に描いたようなドロップアウト人生というか…(笑)。

関 まあ、そうなんですけど(笑)。自分としては、どういう形にせよ映像の世界に入れたんだなと思ってました。音楽関係の映像をやりたかったんですが、錦織監督は“ザ・日本映画”という感じの方だったので、そこの現場で先輩の人脈をたどって現在所属しているトリプル・オーにたどり着きました。

伊藤 監督としてデビューしたのは何歳のときでしたか?

関 24歳位の時に作ったMVだと思います。元々エディターになりたかったんです。でも、自分でやってみたら …

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