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広報担当者の事件簿

研究所で爆発事故が発生 一変したコロナ禍の日常〈中編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    烏帽子化学の阿蘇研究所で発生した爆発事故。東京本社広報部の川田泰三と日向龍太郎はすぐに現地へ飛んだ。研究所内にいた78人のうち、安否不明者は8人。その中には社長の藤田梁山と研究所所長、そして日向の同期である江藤十夢も含まれていた。研究所から200m離れた規制線の前でメディア対応が始まる。

    ©123RF.COM

    やれることをやりに行くんだよ

    テレビで事故の様子を伝えていた。研究所から炎と黒煙が勢いよく吹き出している。防護服に身を包んだ消防隊員が必死に消火活動をする姿が映し出される。「江藤⋯⋯大丈夫か」日向龍太郎が周りに聞こえないように呟く。

    「お互い、来月は異動かねえ」「そんなつもりないくせによく言うよ」昨日の朝、本社ビル1階のエントランスで右の親指を立てながら背中を向けた江藤十夢の顔が浮かんでくる。空港の検査ゲートを抜けた先の待合スペースは静まり返り、マスクをつけた人々の顔がテレビ画面に向けられていた。

    「一九時〇五分発熊本行きの搭乗を開始いたします」搭乗開始のアナウンスが始まり、皆がテレビ画面を気にしながら搭乗口に向かいはじめた。

    「行こうか」いままでスマートフォンを耳に当てっぱなしだった川田泰三が、大きく息を吐くと椅子から立ち上がる。川田は、羽田空港のロビーで待ち合わせたときからメディア対応をし続けていた。日向も腰をあげる。

    “たったいま入った情報をお伝えします。一七時四一分に発生した烏帽子化学阿蘇研究所の爆発事故で、建物内から男性二人が心肺停止の状態で救助されたということです”ニュースを伝える声のするほうに顔を向けると川田がすかさず電話をかけた。「⋯⋯そうですか。分かりました。これから乗ります」スマートフォンを上着の内ポケットにしまう。

    「救助された二人は研究所の社員だった。社長とお前の同期はまだ分からないそうだ」日向は黙したまま首肯する。言葉が思いつかない。「あとは向こうに着いてからだ」川田と日向はボーディングブリッジから機内に入った。

    日向はおもわず唾を飲みこむ。現場の周囲には規制線が張られ、研究所の敷地から二〇〇メートル以内には立ち入ることができない。研究所の壁が所々剥がれ落ちている。はめ込みの分厚い窓ガラスも吹き飛んだようだ。羽田空港を飛び立つ前にテレビに映し出されていた炎は見当たらない。ネットニュースで一〇分ほど前に鎮火したと伝えていた。

    規制線の中ではかなりの数の消防隊員が動き回っている。化学放水車、消防車、救急車は数えきれないほどだった。「⋯⋯ひどいな」規制線の前に立ち尽くした川田が声を絞り出す。テレビ各局のリポーターがカメラに向かって現場の状況を伝えている。新聞社の記者たちもそこらじゅうで取材メモをとっている。人数にして五〇人は下らないだろう。

    「我々には何もやれることがないですね」日向が力なく呟く。それには答えず川田が踵を返す。「どこに行くんですか」日向が言うと「決まってるだろ。やれることをやりに行くんだよ」「はあ⋯⋯」「対応本部だ」発生時刻、発生原因、鎮火時刻、周辺住民の方々の被害状況、敷地面積、建物面積、消失面積、死亡者数、負傷者数とその状態。企業が説明しなければならないことは山ほどある。ショックを引きずってはいられない。

    社長の藤田梁山や同期の江藤十夢の安否は不明のままだが、彼らのことばかり考えていては負傷したほかの従業員たちに失礼だった。救出は救急隊員がきっとやってくれると信じるしかない。「行くぞ」川田は決意を持った声で言うと、日向の返事を待たず対応本部に向けて足早に歩いていく。日向にとって初めて経験する長い二四時間が始まった。

    ドアの向こうには沈痛な表情で誰も言葉を発することなく静寂に包まれた空間があると思い込んでいた。研究所の敷地近くに借りた緊急の対応本部。川田が躊躇なくドアを開ける。「あ、川田さん!お待ちしていました」奥のほうから研究室の作業服を着た年配の男が声をかけてくる。室内にいる全員が一斉にこちらを向く。

    部屋は喧噪状態といってよかった。壁一面に地図がぎっしりと並び、反対側には付箋にメモ書きされた情報や現状が書かれた模造紙が所狭しと貼られていた。壁の前で打ち合わせをしている者もいれば、電話で外部対応している者もいる。「遅くなりました。現状を教えていただけますか」持っていた鞄を入口近くのテーブルに置いた川田がすぐに奥へと進んでいく。日向も後からついていく。

    「先ほどようやく鎮火しました」「正確な時間は分かりますか」「二一時三一分。発生は一七時三九分です」発生は一七時四一分と聞いていたが二分の誤差がある。「発生は一七時四一分と聞いていますが」川田も同じことを考えたようだ。「混乱していて時刻を間違えたのだと思います」「そうでしたか」納得する。「被害状況や原因など、いま分かっている状況を教えていただけますか」

    男が川田の後ろにいる日向を視る。「広報の日向です」川田が男に紹介する。「副所長の東田です」日向も自己紹介し、三人で壁の模造紙に近づく。「事態はかなり切迫しています。社長と所長の丹後がまだ不明です」眉間に皺を寄せた川田が首肯する。

    「ほかの方々は?」「爆発時、研究所内には七八人がいたようです。研究所員五三人、本社四人...

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