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広報担当者の事件簿

スタッフによる自殺未遂 高齢者施設を取り巻く現実〈後編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    たどころシニアホームズで起きた支配人によるパワハラと職員の自殺未遂。運営企業のシニアホームズでは社長以下、役員たちが見て見ぬふりを決め込もうとしていた。広報部長の和久井喜代太は記者会見を進言するも、決断する者はいない。鳴り続ける電話と疲弊する広報部員たち。和久井はあることの「解禁」を決める。

    ©123RF.COM

    逃げるな。向き合え

    「ちょっといいか」対策会議の席から戻った広報部長の和久井喜代太が広報部のメンバー四人に声をかける。その表情は硬い。チームリーダーの寺川乗竹は、和久井がまとう空気に反応する。「広報部にすべて任せた⋯⋯ですか」寺川の言葉で他のメンバーも察したようだ。和久井が黙って首肯する。

    「みんなにとっては大変な時間になると思うがよろしく頼む」苦渋の表情をにじませた和久井がメンバーを見回す。「我々のボスは部長ですから」寺川が顎をひく。「⋯⋯申し訳ないが頼むぞ」もう一度、和久井が全員に言う。

    広報部全員で会議室に入ると、和久井が詳細な説明をはじめた。施設で起きたパワーハラスメントの実態、支配人の神谷暢三の経歴、会社が取ろうとしている姿勢、そして自殺未遂を図った今田麗子に対する今後のサポートについてだった。

    これから予想されるメディアへの対応も確認する。“老人施設職員が自殺未遂 施設支配人が日常的にパワハラ”すでに刺激的なタイトルがネットニュースのトップ画面に流れ、数百万人が読んでいる。会社名も施設名もパワハラのおおまかな内容もすべて載っていた。

    「パワハラの事実があったのか、なかったのか⋯⋯そこがポイントですね」寺川がつぶやく。「パワハラはあった。決められない奴らがいるから、いつの時代も現場にしわ寄せがくる」和久井が眉間にしわを寄せる。「現在、事実関係を調査している段階です。具体的なコメントは控えさせていただいております。ではもたない」「どうします?」メンバーの一人が訊いたとき、会議室のドアがノックされた。

    「『週刊暁』の記者から電話が入っています」広報部の隣のシマに陣取る総務部の社員が伝えにきた。「他のメディアからもそろそろくるな⋯⋯」寺川が静かに言った。

    「夕方に記者会見を行います。詳細はその時にご説明いたします。今はこれで耐えてくれ」と和久井が頭を下げた。“支配人の神谷によるパワハラは事実です。パワハラに耐え切れず、施設で一生懸命に働いている職員が自殺未遂に追い込まれてしまいました”そう言えればどんなに楽だろう。和久井は社長以下、役員たちを説得できなかったこと、彼らが他人事としか捉えていない現実に、絶望を感じていた。

    「いや⋯⋯ですから記者会見でご説明いたしますので⋯⋯」「御社の職員のことじゃないですか、記者会見で話すって⋯⋯広報なら広報らしく説明してください」『週刊暁』社会部の本多慎吾が語気を強める。

    「パワハラはあったのか、なかったのか。答えは二つに一つでしょ。すでにネットニュースで流れているんですよ。記者会見まで引き延ばせばいいと思っているんですか」本多の詰問に寺川は言葉が出ない。広報らしく対応したいが武器(答え)がなかった。「これは一人の命の問題ですよ!」

    寺川と本多のやりとりを見つめる和久井の姿が視界に入る。和久井に向かって首を横に振ると和久井が頷き、一旦通話を切れと手振りでサインを出す。「十分に承知しています。ですが、まだ詳細の確認ができていない状況ですので⋯⋯」これ以上は説明できない、と言外に醸し出す。

    これ以上攻めても埒があかないと思ったのだろうか、本多が冷静な口調になる。「あなた方の対応は間違っています」ようやく解放されると安堵しかけた寺川の心に、本多の言葉が突き刺さる。寺川は茫然と受話器を見つめた。

    「寺川」名前を呼ばれてようやく我にかえる。「どうした?」和久井が心配そうに声をかける。「あなた方の対応は間違っています、と静かな口調で言われてしまいました⋯⋯」誰のために、何のために対応しているのだろうか。会社ってなんだろう⋯⋯。和久井は腕組みをしたまま窓外を見つめ、寺川もつられて目をやる。陽射しは暖かそうだが木枯らしが吹いているようだ。他のメンバーは電話に追われて、窓に目をやる余裕などない。終わりの見えない対応に不安が募る。

    「解禁だ」和久井が寺川を見る。「この状況を続けさせるわけにはいかない。事実が明らかなのに説明しない愚行など、隠蔽と同意だ」必死にメディアからの電話に向き合うメンバーを見ながら、和久井が語気を強めた。

    “パワハラの事実を隠蔽か”宮倉耕太郎はスマホの画面に映し出される記事の見出しに動揺していた。自分の告発が、たどころシニアホームズの仲間や入居している方々を苦しませているのではないか。罪悪感が襲ってくる。記事を読むと、会社はパワハラ行為を「調査中」としている。今田麗子の自殺未遂についての説明はされていないようだった。

    “株式会社シニアホームズは記者会見ですべて説明するとしており、支配人によるパワハラ行為が女性職員の自殺未遂を招いた責任について会社側の姿勢が問われている”と結ばれていた。『週刊暁』の...

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