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広報担当者の事件簿

企業は誰のためにあるのか

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    文具メーカーでの粉飾決算 踏みにじられた従業員の誇り〈前編〉

    【あらすじ】
    昨年、創業50年を迎えた文具メーカーのBANIWA。6月の決算を前に、35億円もの粉飾決済が判明した。役員らは、取引銀行である九州中央銀行から財務担当役員として乗り込み、現在の社長となった橋川亨を追及するが悪びれるそぶりはない。広報部の吾妻晋太郎は、今後のメディアの追及を想像して総毛立っていた。

    三十五億円のシナリオ

    東京証券取引所に上場して十年が経つ。文具メーカーのBANIWAは昨年創業から五十年を迎え、株主には記念配当として利益分に上乗せした配当金が還元された。七年前に逝去した創業者の馬庭貞三が存命なら、感慨もひとしおだったろう。

    馬庭は地元・福岡で、昭和初期に建てられた倉庫の一角を借りて便箋と万年筆の販売をはじめた。高度経済成長期の真っ只中で日本中が沸き立っていた時代。文具や事務用品の需要が急激に高まった時期でもあった。時代の波というものがあるとすれば、馬庭は波に乗ることを許されたひとりだといえる。今では国内外に130店舗を構える企業に育った。馬庭の行動力が今日の礎となっていることはいうまでもない。

    たったひとりでの創業から、今では従業員千百人を抱える大所帯となった。"BANIWA"は日本を含めたアジアだけでなくニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、ロンドン、ウイーン、フランクフルト、ローマといったデザインや機能性を重視する欧米の人々にも浸透している。世界中の人々に愛されるブランドのひとつとなった。

    それでも、本社は福岡から動かしていない。馬庭貞三の創業精神を受け継いでいくためだ。世界中の契約バイヤーが仕入れてくる逸品を販売しており、消費者はBANIWAに行けば質の高い商品を求めることができる。"それ"を使うことがひとつのステータスでもある。五十年かけて築き上げた信頼であり、その信頼を維持していく努力こそが従業員の誇りでもあった。五月までは。

    来週から梅雨入りかもしれないと今朝観た番組で言っていた。ここ数年、日本の気候は亜熱帯化しているように思う。まもなく湿気が全身にまとわりつく時期に突入する。五月の爽やかな風が一年中続けばいいのに、と思いながら西鉄福岡駅から徒歩で会社に向かう。天神の朝は今日も足早に急ぐ勤め人で溢れかえっている。BANIWA広報部の吾妻晋太郎も人の波にもまれながら急いだ。六月は決算の締月ということもあり社内は慌ただしくなる。会社に着き、一息つこうとコーヒーマシンの注ぎ口に紙コップを置く。

    「吾妻、ちょっといいか」同期の竹入堯が声をかけてきた。「おはよう。お前、おはようぐらい言えないのかよ」吾妻が笑いながら返す。「悠長なこと言ってられないぞ」「おはようは挨拶だ。悠長なことを言ってるわけじゃないだろーよ」竹入とはプライベートでもゴルフや釣りに行く仲だった。

    「七年もいると、いろいろな情報が入ってくるもんだな」吾妻の声など耳に入っていないかのように竹入が話題を変える。「どういうことだ?」先をうながす。「昨日の会議で、決算の見込報告があった」「そりゃあるだろう。今月は締めの月なんだから」吾妻が突っ込んでも竹入の表情は変わらず、いつもの冗談も出てこない。

    「何かあったか」耐えきれず吾妻が口をひらく。「うーん」「なんだよ、うーんって」腕組みをしながら竹入が唸る。「……んしょく」喉の奥から絞り出したような竹入の声。「んしょくってなんだよ」「ん、じゃないよ。ふん、だよ」竹入が声に力をこめる。言葉を理解するのに間がすこし空く。

    「昨日の報告で確認された。三十五億だそうだ」竹入の言葉に、今度は吾妻が黙る。「財務部のお前が言うんだから、本当なんだろうな」「こんな嘘言えるか……」吐き捨てるように言った竹入が溜息をつく。「メディアがほっとかないだろうな」決算発表は今月である。メディアの追及はどのくらいの厳しさになるだろうか。詰め寄られる自分の姿が思い浮かぶ。「お前が広報でよかったよ」竹入が吾妻の顔を見て言う。

    「午後に関係部長を集めて説明するらしい」「そうか、それまでは口外なしだな」「といっても、今ごろは社内中に伝わってるかもしれないぞ」さっきは溜息をついていた竹入が、片方の口角をあげる …

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