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広報担当者の事件簿

広報担当者の基本18項目をチェック

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    地方都市の駅前商業施設、オープンまでの険しい道のり〈前編〉

    【あらすじ】
    北関東の中規模都市であるM市に、初の駅前商業施設“Fo-rest”がオープンした。三年前に発足した開発プロジェクトで中心となっていた北関東リアルエステートの広報担当・志村香織は、アドバイスを受けていた市長秘書・大垣甘太朗の「広報屋はいらない」という言葉を理解したつもりでいたが……。

    "広報屋"は正義か

    例年より厳しかった冬の寒さから、ようやく解放された。道行く人々も厚手のコートを脱ぎ、全身で春を感じているようだ。駅の正面玄関から出た志村香織の目に、うららかな光に照らされたビルが映る。駅の目の前に位置し、地下では駅とつながっている商業施設"Fo‐rest"。計画発表から三年、広報活動を頑張ってきたという自負があった。北関東にある中規模都市のM市に初めて完成した駅前商業施設に、市も市民も期待を寄せてオープンを心待ちにしていた。

    今日がその日だった。駅前の横断歩道の手前で香織は一瞬、立ち止まる。施設の入口から建物に沿ってぐるりと人の列ができている。ざっと数えただけで四百人。「こんなに楽しみに待っていてくれたんだ」と感情が高ぶる。

    「おはようございます」「おー、おはよう。今日は頼むよ」「任せてください」オープニングセレモニーが行われる一階のメインエントランスに足を運ぶと、市長秘書の大垣甘太朗がいた。「すごいお客様の数ですね!」香織の投げかけに大垣は冷静だった。高ぶる神経を無理に抑え込んでいる様子はない。「セレモニーをつつがなく終えて、初日のお客様を無事に迎え入れる。今日の我々がすべき最大の役割です」。人の数で一喜一憂してはいられないとでも言いたげだ。

    「また後で」左手を軽く上げて大垣が奥の控室に姿を消す。「そうだねえ、ぐらい言ってくれてもいいじゃん。だから役人は好きになれない……」大垣が消えた方向を見ながら呟くが、本音ではなかった。

    この三年間、香織は何度も大垣を頼ってきた。現市長は五年前、M市初の女性市長として選挙戦を勝ち抜いた。現在は二期目を務めているが、初当選から今日まで市長の参謀として常に寄り添ってきたのが大垣だった。民間企業の広報担当だった大垣は、市長が選挙に立候補を表明したとき、企業を辞めて秘書となった。

    大垣は選挙戦でも元広報の手腕を活かし、徹底した戦略を立てた。PR会社が「選挙広報」を請け負うべく営業にきても、「必要ない」と突っぱねたという話もある。香織も直接「"広報屋はいらない"が持論」と、訊いたことがある。今、この言葉の意味は理解しているつもりだ。

    三年前。M市駅商業開発プロジェクトが発足し、北関東リアルエステート(東リア)はその中心的存在を担うことになった。営業所から本社の広報業務に就いて一年足らずだった香織も、毎日、初のM市駅前の商業開発をどう広報していくか頭を悩ませていた。東リアの広報室は、室長を含め三人。経験は関係なく全員がプロジェクトのメンバーとして、市とともに広報業務を進めていかなければならなかった。

    「やっとできました!」「そうか、お疲れ」広報室長の深川道徳が声をかける。「こちらです」できたばかりの資料を深川に渡す。「明日、市長秘書の大垣さんにも見てもらいます」。自席で足を組んだ深川が資料を繰りながら頷く。「いいだろう。よろしく頼む」。深川が帰り支度を始める。

    「これから、暁新聞のデスクとちょっと情報交換してくる」"情報交換"という大義の飲み会。「お疲れ様です。行ってらっしゃい」満面の笑みで見送る。「たまには自分の金で飲めよ……」という言葉を飲み込みながら。

    「これじゃあ、まるで素人が書いた発表資料ですよ」大垣は、香織が仕上げた資料をつき返す。「……どこがだめなんでしょうか」上目づかいに大垣をみる。「まずタイトル」リリースのタイトルに駄目出しをする。次に文面、構成と続く。悔しいが大垣の指摘に反論できない。「君は受け手の立場を考えていない。発信側、つまり我々サイドの考えばかりを押し付けている。これでは、相手に何も伝わらないですよ」

    見た目も考えも深川とは正反対に位置している男だった。言い方はきついが的を得ているところも。「明日までに修正してお持ちください。修正した資料で打ち合わせをしますので」何日もかけて作成した資料が、ほんの数分目を通しただけで「使えない資料」と断言された。悔しさと疲れと自己嫌悪が入り混じり、会社に戻る道が果てしなく遠く感じる。

    「室長は?」広報室に戻って深川に報告してから修正作業に取りかかりたかった香織だったが、深川は不在だった。「今日は風邪で休みだって」もう一人の広報担当、富川龍が首を横に傾けながら応じる。「風邪という名の二日酔い」富川が続ける。「また?」香織が口調を少し強める。無言で目が合う。同時に溜息に変わる。

    「M市駅初の商業施設ですから、広報活動の良し悪しで集客がかなり変わってきますよ」。言われなくても分かっています、面前にいる二人から目を逸らし、心の中で呟く。深川に会うはずだったというPR会社・東京リレーションズの二人の男。富川に打ち合わせの予定があったため香織が対応することになった …

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