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経営トップ 販促発想の着眼点

駅弁の定番「峠の釜めし」 東京進出で需要拡大

荻野屋

ユニークかつ効果的なプロモーションを展開する企業のトップに、どのような視点で販促を考え、展開しているのかを聞く。

荻野屋 代表取締役 社長
高見澤志和(たかみざわ・ゆきかず)氏

1976年、群馬県出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。2003年に荻野屋へ入社し、専務取締役を経て、2012年に6代目となる代表取締役社長就任。財務・人事など社内改革を推進するとともに、新商品の開発や、首都圏をターゲットにした新規事業を展開するなど、これまでの伝統を踏襲しながらも常に新しい価値の提供を目指し、積極的に挑戦を行っている。

旅する乗客の声をもとに 温かい「峠の釜めし」を開発

駅弁「峠の釜めし」で有名な荻野屋(群馬・安中)が、新たな事業展開に力を入れている。

荻野屋の創業は1885年。信越本線の開業と同時に、横川駅で駅弁を販売し始めた。当時のメニューはおむすびなど。現在の看板商品「峠の釜めし」は1958年に発売した。

朝鮮戦争で特需が起き、旅行ブームで信越本線の利用者が増えていた時期だ。当時の信越本線は、急勾配の碓氷峠を越えるために、列車に機関車を連結する必要があり、横川駅はその拠点駅となっていた。そのため、基本的にすべての列車が横川駅に停車した。

「ただ、弁当の販売という視点でみると、横川駅は高崎駅と軽井沢駅にはさまれているので、多くの乗客はすでにどちらかの駅で弁当を買っていた、という状況でした。なので、自動的に当社の駅弁が売れるわけではなかったのです。そこで、なにか特色ある駅弁を開発しよう、と考えたのが、『峠の釜めし』だったと聞いています。保温性の高い陶器を採用したことが、『温かいお弁当を食べたい』というお客さまの要望にマッチして、人気を博すようになりました」(荻野屋・高見澤志和社長)

1997年、長野新幹線(現=北陸新幹線)の開業にともない、信越本線の碓氷峠区間(横川駅~軽井沢駅)は廃止。横川駅は終着駅となった。 荻野屋は現在、JR駅構内をはじめ、上信越自動車道(上り線)の「横川サービスエリア」、インターチェンジそばにあるドライブインなどの直営店や、全国各地で開催されるイベント「駅弁フェア」などに参加し、「峠の釜めし」を販売している。

売上高は、碓氷峠区間の廃止前のピーク時には届かないものの、ここ数年は約58億円で安定的に推移している。

容器も人気の「峠の釜めし」パルプ材の容器も新開発
「峠の釜めし」は味だけでなく、益子焼きの容器も人気。食べたあと、思い思いに再利用するファンが多い。近年、顧客から「容器が重いのでいくつも買えない」「食後に焼き物の容器を捨てるのがもったいない」などの声があったため、パルプを材料とした容器(左下)を開発した。

「GINZA SIX」に出店 顧客とのタッチポイントを増やす

2017年には、複合商業施設「GINZA SIX」に店舗をオープンした。上州牛ステーキ弁当や上州すき焼きなど、地元・群馬にちなんだ弁当を販売している。

「『GINZA SIX店』には、商品やブランドをPRする、ショールームとしての役割もあります。『GINZA SIX店』を含め、顧客とのタッチポイントをどれだけ高めるかを重視しています」(高見澤社長)

駅構内や高速道路サービスエリアなどの店舗とは異なり、「GINZA SIX店」では...

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