3月8日、贈賞式の直前に行われた最終審査会では、2時間にわたって投票と議論が重ねられました。二次審査から四次審査、そして最終審査まで作品を見つめた15人が、今年の審査を振り返ります。
審査員長
宣伝会議賞のような場では、チャレンジが求められ、ストライクゾーンにボールを置きに行く表現より、暴投気味でも新鮮な表現が評価されるべきですが、審査委員もこの国で生活をしていて、さまざまな情報の影響を受けています。とくに地球環境や紛争、各国の政治や経済情勢から来る不安要因が強く影響して、どうしても守りの姿勢になる。それは、人々の心にも浸透し、クライアント心理にも影響を与えます。その影響はもちろん広告にも及び、商品に近いところでの手堅い表現を求めます。結果、クリエイティブジャンプに抵抗が生じます。今回は、やはり商品特性に近い表現に票が集まったようです。
宣伝会議賞も61回目とのこと。これまでに膨大な数のコピーが応募され続けてきたのだなぁと思うと「誰かが過去に書いたかもしれないコピー」を選ばないように、なるべく今の時代を反映したものを選びたいと思って審査に参加しました。でも結果的には普遍的な強さのある太いコピーがグランプリになりましたね。審査はとても公正かつ刺激的で、良い意味で結果が最後までわからず面白かったです。私ももっと頑張ろう、という気持ちにさせていただきました。受賞者の皆さん、本当におめでとうございます!
宣伝会議賞はコピーの力量のみで評価する。だからインパクトの勝負になりやすい。CM企画でも同じ。複雑なニュアンスより切り口の鋭さが勝ち残るようだ。そうして今年も白熱した力勝負となった。グランプリとコピーゴールドは、対照的な2作での決勝戦。前者は短い格言の速度に乗じたスマートさ。後者はやや長めの会話体で心情をつく鋭さ。この軍配の差は微妙だった。私的には「短いコピー」の価値をより評価する立場をとった。内容的に深まり、時間的にも長く機能しやすいからだ。たとえば「泣く子と育つ」の主語は一義的には「親」と思われるが、使い方によっては「私たち(=企業)」にもなりそうな面白さがある。眞木準賞は、技法のみに注目せず表現のセンスで選ぶべきで、本作には遊びとともに叙情性もあってふさわしいと思う。シルバーの各作もインパトの強いものが残った。その分ある傾向のようなものも感じてしまうが……これはむしろ選ぶ側の「傾向」なのかもしれない。
審査は割れました。それぞれが技の光り方を吟味し、自分の気持ちがどう動いたかを議論し、そのうえで改めて見比べ、熟考する。エキサイティングな時間でした。いくつかのファイナリストは、…