「アニマル・セラピー」と「こころの資本」
京都の東福寺というお寺には、縦約12メートル、横約6メートルの巨大な涅槃図※がある。通常涅槃図に猫は描かれていない。十二支にも猫はいない。ところが。室町時代の画僧・明兆が描いた東福寺の涅槃図には猫がいる。後ろ姿がなんともカワイイ。
※ 亡くなったお釈迦さまの回りに、弟子たちや多種多様な動物たちが集まって嘆き悲しむ様子を描いたもの。
伝説によれば、明兆がこの絵に取り組んでいると1匹の猫がたびたびやって来る。明兆は猫も自分の姿を描いてほしいのだな、と思って描き加えた、という(詳しくは拙著『〈猫〉の社会学』(勁草書房))。この話、事実かどうかは定かでないがいかにも猫らしい。猫は人間が何かしていると、必ずやって来て邪魔をする。
ペット(のはず!)のくせに、猫は「精妙をきわめたエゴイストで、(中略)気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わい終わるとプイとそっぽを向いて振り返りもしない。爪の先まで野獣である」(開高健『猫と小説家と人間』)。そんな極悪非道の猫なのに、猫好きたちは「なにしろただ見ているだけであまり可愛いものだから、とにかく可愛いという満足感」(金井美恵子『猫と暮らす12の苦労』)に浸って、「癒される~」と呟くのである。
近年、「アニマル・セラピー」が注目されている。D.ユハスは、①人間…
あと60%