老舗和菓子屋に訪れた変化 新人PRの奮闘記〈後編〉
【あらすじ】
老舗和菓子屋「華月堂」のPRを任された従業員の美崎真菜。SNSで情報発信し、どら焼きの包装パッケージのリニューアルに取りかかっていた。いよいよリニューアル発売を翌日に控えた夜、美崎はSNSで批判的なコメントを目にして動揺してしまう。社長の月山朔太郎や妻の美奈代に励まされ、ついにその日を迎える。

きっと誰かが見ていてくれる
「どうしてこんなこと書かれなきゃいけないの……」
美崎真菜は自分が投稿したツイッターやインスタグラムのコメントを読んで愕然とした。"アイデア盗作してまで乗り遅れたくないんだな" "ダサい店はダサいままでいろよ"。最初は二つしかなかったコメントが、一時間後には五つに増えていた。夕食の途中だった美崎は、思わず手に持っていた箸を床に落としてしまった。
二つだけでもショックだったのに、さらに三つ、悪意のあるコメントが書かれている。"華月堂!他店のアイデア横取りしたらあかんで!"隣にいる月山美奈代も掌のスマートフォンでコメントを確認している。「ネットだと好き放題言えるのね……卑怯だわ」美奈代が美崎の肩にそっと手をおく。
声を震わせながら電話をかけてきた美崎を家に呼び、リビングのソファで落ち着かせていた。優しく話しかける美奈代の声は美崎の強張りを少しずつ弛緩させていく。
月山家は岡山市で百五十年続く老舗和菓子屋を代々受け継いでいる。今年還暦を迎える現社長の月山朔太郎で七代目になる。老舗ではあるが近年は来店客数が減少し、ECサイトでの販売も思うような成果を得られていなかった。店内の陳列ケースには、時代に取り残されたような商品が並ぶ。和菓子の素人である美崎から見ても、決して魅力的な店舗とは言えなかった。
「お客様が求める商品=誰かに紹介できる商品が必要ではないでしょうか」美崎は立場を考えず社長に提案した。その答えが出ようとしていた矢先の非難だった。普段は全身から明るさを発散している美奈代の眉間にも皺がよる。
「こんなことになって社長に申し訳ないです……」うつむいた美崎が声を絞り出す。「なに言ってるの!真菜ちゃんは悪いことなんて何もしてないじゃない。お店のことを思っていろいろPRしてくれているんだもの」「そのとおり!」美奈代の言葉に、社長の朔太郎が賛同しながら入ってきた。リビングから続く廊下で耳をそばだてていたらしい。
「横取りもしてなければ盗作もしていない。無責任なことを言いたい奴には言わせておけよ。ネットの誹謗中傷に反応していたら神経がもたないぞ。それより今は、明日のことを考えてくれよ。何かあったら全員で真菜ちゃんを守るから」朔太郎の笑みに、温かいものがこみ上げてくる。大企業がまぶしい原色系だとすれば、この華月堂は淡いオレンジ色だろうか。"企業にはいろんな色があるんだろうな"美崎は淡い色がことのほか好きだった。
今日も新聞配達のバイクが遠ざかっていく音で目が覚めた。空気が冷えている。冬が近づいてきていることを実感する。四時五十分。最近は目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまう。「ふーっ。いよいよか」この時期になるとなかなかベッドから出られず、二度目の目覚ましでようやく起こされているが、今朝はいつもの目覚めとは違う。
PR担当を任されてから、自分なりに頑張ってきた。人に説明することも、ポスター製作や商品包装のデザインを考えることだって、生まれて初めての経験で自分の生活にはなかったことだ。地味に目立たず、ひっそりと静かに生活していきたい。派手なことが苦手だし、自分をアピールすることも下手。ずっとそう思ってきたし、それは今も変わらない。
ただ、華月堂にお世話になっている身として、店がこのまま時代から取り残されていくのを、何もせずに黙って見ている自分がいやだった。社会のルールなるものがあるとしても自分には分からない。分からないが"まずはやってみる"。やってみてダメだったら、そのときに立ち止まって少しだけ考えよう。PR担当になって二カ月余り。PRセンスは欠片ほどもないだろうけど、愚直で真面目が自分の取り柄だと言い聞かせている。
それでも「私にできるはずない」という思いが「私でも、できるかもしれない」に変わってきたことに美崎自身、驚いていた。社長の朔太郎が美崎の背中を押し、妻の美奈代が支えてくれた。同僚の醍醐絵里は、ポスターや商品包装デザインのアイデアを夜遅くまで一緒に考えてくれた。頑固者だと思っていた菓子職人の徳川吾朗は、三十四年の経験を活かそうと積極的に試作してくれた。
この二カ月間は"一人ではなにもできない"を自覚するには十分すぎた。華月堂は働く全員の思いが込められた店だ。大企業のように莫大な経費を投入できる体力もなければ、社員もいない。あるのは知恵だけだった。「楽しまなきゃ……負けない」昨夜から続いていたSNSの非難コメントに対する感情も重なった。「負けるもんか……」鏡の中の自分に言い聞かせた …