ジーンズ産業の名所である岡山県倉敷市児島に根差した「桃太郎ジーンズ」をはじめ、「JAPAN BLUE JEANS」「SOULIVE」「SETTO」といったアパレルブランド、さらにはデニムや綿織物生地を中心としたテキスタイル「COLLECT」を展開するジャパンブルー。世界一のジーンズメーカーになることを目指し、国産デニムの魅力を世界に発信している。テキスタイル業界の現場でものづくりの精神を培った眞鍋久夫社長が考える「現場力」とは。
―ジャパンブルーのジーンズづくりの原点はなんですか。
「日本のジーンズで世界一になる」と心に決め、1995年にオリジナルデニム「ジャパンブルーデニム」を発表したものの、初めは苦難続きでした。当時はファストファッションが主流になりつつあり、1000円以下のジーンズがバンバン出てきた時期。消費者がどんどん安い商品に目を向ける中、品質を重んじた高いジーンズを出すわけですから、周囲からは反対の声が多くあがりました。
しかし、私は「いずれ絶対に売れるはずだ」と信じて疑いませんでした。安いジーンズは消耗スピードが速いので、長年愛用できるジーンズにはなり得ません。良質なジーンズは使い続けるほどに自分の体になじみ、オリジナルの風合いが出ます。量産型の格安ジーンズは、自分の相棒のような唯一無二のジーンズにはなりえないのです。
周囲は「ジーンズの本場であるアメリカに追いつこう」とは思っていても、「アメリカを追い越そう」とは思っていませんでした。しかし、私は「(ジーンズ)輸入国家の日本でも、プロ意識の高い職人が本気を出してジーンズを作ったら、きっとアメリカよりもすばらしいジーンズができるはずだ」と考えたのです。
そこで目を付けたのが素材です。ヨーロッパでドレスシャツの原料として用いられる良質な綿を日本に輸入して、ジーンズに使おうと考えました。30年にわたる藍染経験により、ピュアブルーからインディゴブルーまでさまざまな青色を知り尽くしていたからこそ「これなら理想の青色を実現できる」と確信を持てたのです。
ジーンズの美しい青色を表現するため、採算度外視で試行錯誤を重ねました。結果として市場価格の倍のジーンズが誕生しましたが「これだけ妥協せずに作った本物のジーンズなのだから、地道な営業活動を続ければ必ず売れる」と信じて突き進みました。
もちろん、最初は「高すぎる」と認めてもらえませんでした。それでも、営業活動を通して商品の良さを伝え続けました。大きなバッグにジーンズを40本入れ、アポイントを取れなくても現場でどんどん提案して、国内外問わずどぶ板営業をし、少しずつ販売していきました。
すると、ジーンズを手にした人から履き心地の良さや質感を評価されるようになり、やがて「プレミアジーンズ」として注目を集め、日本に新しいジーンズ市場が誕生するまでに至りました。ジーンズが単なる日常着ではなく、こだわりのファッションとしての立ち位置も持つようになったのです。
―「桃太郎ジーンズ」はどのように誕生したのでしょうか。
「日本のものづくり技術で海外のハイブランドに負けないジーンズを生み出したい」という目標のもと誕生したブランドです ...