販売促進の専門メディア

トップの現場力

人に喜んでもらうことが事業の原点

2001年、築地場外市場の一等地に1号店となる「すしざんまい本店」を出店してから、現在では全国に51店舗を拡げる大手すしチェーン「すしざんまい」。寿司店として日本初の24時間・年中無休の営業形態、安価で新鮮なネタ、質の高い接客などが支持され、成長を続けている。「すしざんまい」は、喜代村の木村清社長にとって、前身の木村商店時代から合わせると85番めの事業だという。「すしざんまい」の顔として知られる木村社長が考える「現場力」とは。

喜代村
代表取締役社長
木村 清(きむら・きよし)氏

1952年千葉県東葛飾関宿町(現:野田市)生まれ。パイロットを目指し15歳で航空自衛隊に入隊するが、訓練中の事故で目を煩い5年9カ月で退官。1974年大洋商事(現:マルハニチロ)の子会社に入社。1979年「木村商店」を創業。1985年「喜代村」を設立。2001年「すしざんまい本店」をオープン。現在、全国に51店舗展開中。

―これまで数多くの事業を展開してきた木村社長の発想の原点とは。

喜代村の前身となる「木村商店」を1979年に創業してから40年近くになります。世間的には「すしざんまい」の印象が強いかもしれませんが、実は「すしざんまい」は私が手がけた85番めの事業なんです。水産業をはじめ、弁当屋、カラオケ店、レンタルビデオ店、居酒屋の経営なども経験し、不動産事業まで含めれば、これまで90近い事業を行ってきました。

冷凍の枝豆を扱っていた頃、主な卸し先はビアガーデンでした。ただ、当時はビールは夏の飲み物で、ビアガーデンは夏しかやっていない。冬は枝豆が売れなくなるため、枝豆を売る良い方法はないか考えました。そして「冬でもビールを飲む場があったらいいだろう」と、駅前にスペースを借りて、季節関係なく楽しめる大型の居酒屋をはじめたこともあります。

こんな風に、まだ誰も取り組んでいないけれども、「こんなものがあったらいい」と思える商品やサービスを生み出してきました。これまで展開してきたどの事業も、そうした世の中における発見から生まれたものです。

―その後、寿司店を開店するに至ったのには、どんな経緯があるのでしょうか。

どの事業も順調だったのですが、1990年ごろのバブル崩壊の波を受け、人生最大のピンチに直面しました。当時、総額で百数十億円の借入金があったのですが、バブルがはじけた途端に返済を強いられ、それでも3年かけてようやく残り数千万円になるまで返済していました。

しかしそんな中、メインバンクの裏切りにあってしまった。その際に、苦楽を共にしてきた妻を泣かせてしまったのです。妻を悲しませてまで事業をすべきでないと、一部の事業だけを残して、いくつもやっていた事業を清算することにしました。

そんなある日、昔からの仲間達から誘われゴルフをしていると、妻から連絡があり、「出所不明のお金が次々に振り込まれてくる」と言うのです。

はじめは何かの間違いだろうと思いましたが、実は、その時一緒にゴルフを楽しんでいた仲間たちが、「木村さんのマグロの夢のために使ってほしい」と、振り込んでくれたお金だということが判明したのです。額にして数千万円。しかも借用書は必要ないという。持つべきものは友だと心から思いました。

その気持ちに応えようと、マグロを釣りにアイルランドへ向かいました。そこで2匹のマグロを釣り、金利替わりに応援してくれた人たちに振る舞って、借りたお金も清算しました。

手元に残ったお金は300万円。そのうちの200万円を使って、「喜よ寿司」を1997年に開業しました。わずか10坪の寿司屋です。「いいネタをどこよりも良心的な価格でお客さまに提供する」をコンセプトに、高品質で低価格、そして明朗会計。多くのお客さまに支持され、たちまち行列ができる人気店となりました。この時、「すしざんまい」へとつながる扉がひらいたのです ...

あと61%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

トップの現場力 の記事一覧

人に喜んでもらうことが事業の原点 (この記事です)
夢追う社長の背中を見せて、社員に夢を抱かせる
店舗は「舞台」、スタッフは「演者」マニュアルにとらわれない変化対応力
これから育てたいのは商売人気質のパートナー
店舗は『ブランドアンバサダー』を育てる場

おすすめの連載

特集・連載一覧をみる
販促会議Topへ戻る

無料で読める「本日の記事」を
メールでお届けします。

メールマガジンに登録する