自身の作品制作だけでなく、迫力あるライブパフォーマンスや異ジャンルとのコラボ。医療チャリティーに、障害者支援でのワークショップなど「書」を通じてさまざまな可能性を探究し続ける書家・川尾朋子さん。その活動は多岐にわたり、現代のデジタル社会で失われつつある手書き文字の価値を思い起こさせてくれる。
人生の崖っぷちに立つと自分の使命がわかる
神社仏閣をはじめ、百貨店やさまざまな記念イベントの会場で「書」のライブパフォーマンスを繰り広げる川尾朋子さん。瞳を閉じて心を鎮め、修行僧のように集中する数分間。そこから長い肢体を躍動させ、極太の筆を宙に舞い上がらせて、一気に墨の潤渇で文字を書いていく。その迫力は息を飲むほど。「書」に魂が吹き込まれていくようだ。
川尾さんが「書」を始めたのは6歳の頃から。「男勝りで言うことを聞かない性格が少しでも落ち着けばいいという母の勧めで習い始めた」と言う。「墨を擦る音。筆と紙が接触する時の緊張感や、書けば書くほど上達していくのが自分でもわかり、ともかく好きでしたね。誰かを好きになるのに理由がないのと同じような感覚だと思います」と川尾さん。
小中学生時代は書道の私塾に、高校時代は書道部(部長)で日々の練習に励み、高校3年生の時には読売新聞が主催する西日本の大会で最優秀賞を獲得したことも。
そんな彼女の転機は、同志社女子大(京都市)4年の卒業を目前にした頃だった。「当時アパレル会社に内定をもらっていたのですが内部研修を進めていくうちに、これは生半可に書道と仕事との両立はできないなと察知し、急に怖くなったんです」と川尾さん。聞けば中・高時代に虚弱体質だった彼女が学校に通学できたのは半分以下。遠く離れた京都の病院で入退院を繰り返しながらも、家では集中して「書」を書くことで、自分の境地を忘れられたのだという。
「自分のアイデンティティを支えてくれたのはいつの時も『書』だったということに、失うことになるかもしれないと悟った瞬間に気づかされました」。
それから内定を辞退した彼女は、書の道を志すと決めたものの、書道だけでは食べていけず、「9時から5時までの仕事」を求めて京都大学医学部で秘書と実験補助要員として約7年勤務。その間も、「朝の出社前と夜には机の前に座り、筆をとって字を書いていました。書くことが私にとっての生活の一部。御飯を食べるのと同じこと。旅行に行くときも書道用具を持参し、書にまつわる本(拓本など)が側にないと不安で仕方なかった…、今でもそうです」と話す。
川尾さんは、大学時代には縁あって篆刻(てんこく)の先生に就き、2004年からは京都の書道用品店の店主を介して、書家の祥洲(しょうしゅう)氏に師事。30歳になったのを機にそれまでの副業を一切辞めて、「書」の道一本で歩み始めたという。
古典の模写は発見の連続 方向性を見直すこと
川尾さんは、学生時代から「往年の古典作品(空海などの名品)を臨書(模写)することを日課にしている」。そして「書」の魅力をこうも語る。
「他の芸術とどこが異なるかと言えば、『書』はすべて書く順が決まっているので、たとえ3000年前に書かれたものでも、どこから書いてどこで終わっているかが読み取れ、追体験できることが素晴らしいと思います」。確かに絵画も模写はできるが、完全なる始点と終点を追うことはできない。
しかし川尾さんは、普段から「書」の臨書を深め …