企業姿勢や事業の裏側、奮闘する人の想いを発信し理解や共感を得る。企業成長に欠かせない発信を、多様なステークホルダーの記憶に残すには。
「この会社に就職しようと思っている」と相談され、名前も聞いたことのない会社だった場合、あなたはどう反応するでしょうか。私は普段、「PR TIMES STORY」というプラットフォームの責任者として、メディア向けに配信する企業ストーリーを数多く目にしています。中には、自分自身が認知していなかった企業もありますが、「この会社なら、ぜひ働いてみるといい」と知人や家族に勧めたくなる企業がいくつもあります。今回は、企業ストーリーと人材採用について考えます。
経営者のストーリーテリング
人は、就職・転職先を選ぶ際、さまざまな側面から企業を見ています。同じような業務なら報酬が高い企業に人気が集まるのは当然のこと。しかし、経営者に並々ならぬ思いがあると、それがひっくり返ることもあるのです。
以前に私はスタートアップ企業の採用責任者をしていました。その経験をもとにお話しすると、十分な報酬を支払う余裕がないスタートアップ企業でも、経営者がストーリーテリング(自らの人生や、解決したい社会課題、起業と事業開発の経緯について語ること)を実践していれば、「この人のもとで働きたい」という求職者の気持ちは次第に高まっていきます。
さらに事業が成長し報酬や福利厚生が良くなれば「入社したい憧れの会社」へと変化していきます。逆に、経営者によるストーリーテリングが弱く、言葉と行動がちぐはぐになると、人材流出が顕著になるケースもあります(図参照)。
面接をストーリー交換の場に
そもそも採用とは、企業と人とのマッチングです。モノを買うのとはわけが違います。とはいえスペックでモノを選ぶように求職者を扱う一方通行型の採用も散見されます。面接で「あなたの能力は?」と聞き、求人票と答え合わせし「いいポジションと報酬を用意した」と説得するのです。
片や双方向型の採用は、企業と求職者が対等な関係。求職者は面接で経営者に対し「あなたは何者で、なぜこの事業をしているのか?」と質問することもできます。経営者側も「求職者がこれまでにどんな行動を自ら起こし、課題に対してイニシアチブをもってどう乗り越えてきたのか」といったストーリーを引き出すことになります。こうしたストーリーは一緒に行動する仲間を決める上で特に重要となるものです。
人間の自己開示における行動と言葉の役割を探求したハンナ・アレントは、次のように指摘しています。人は自分が何(what)であるかではなく何者(who)であるかを開示することで個別の人格として認知・記憶されるのであり、それは人が過去にどのような行動(action)を起こしたかという「物語」によって理解される─。
つまり、学歴や職歴、役職や能力は人が何(what)であるかを伝えますが、それらのいわゆるスペック情報を開示しても、他にも全く同じ属性の人がいることが想定されてしまい、何者(who)であるかの開示にはなりません。「人間の行動それ自体が、全ての新参者に対する『あなたは何者か』という問いへの応答を含んでいる(human act must at the same time contain the answer to the question asked of every newcomer: “Who are you?”)」とアレントは書いています*。
企業と求職者が「何者なのか」のストーリーを交換できるような採用を実現するには、まず経営者(創業者)のストーリーを発信することから始めてはいかがでしょうか。もし、あなたの会社で、経営者の生い立ちや事業を始めるまでの経緯がどこにも公開されていないならば、まずそのストーリーを書き起こし、広報することをおすすめします。世の中には、記憶しきれないほどたくさんの企業が存在するので、生活者との接点が少ない企業はなかなか社名を覚えてもらえません。だからこそ、強いストーリーと共に社名を覚えてもらうのです。
そこに一貫性はあるか?
では、どのような企業(経営者)のストーリーならば、共感され、記憶に残りやすいのでしょうか。PR TIMES STORYから発信している、強い企業ストーリーの事例を見渡すと、Integrity(一貫性、言行一致)が重要な要素になっています。このIntegrityには、行動(action)の当事者がストーリーを語る「一貫性」と、ストーリーが後付けの解釈ではなく、行動の経緯を偽りなく述べている「言行一致」という、両面の意味があります。
例えば、ジェンダーに配慮した男女共用スクール水着をいち早く開発した水泳用品メーカーは「1/1の視点」でのモノづくりを大切にしていると、発信しています。たった1人でも困っている人がいれば、その裏には同じような気持ちの人が100人はいる。そうした姿勢のもと商品を開発し、丁寧に悩みを聞くことからモノづくりをしているというストーリーです。
単に商品がヒットしたというエピソードとは異なり、プロジェクトのメンバーがイニシアチブをもって、何を考え、どのようなプロセスで、誰の何の課題を解決するために起案し実行したか、その経緯が書かれています。だからこそ、商品をつくっている当事者の行動(action)が人の心を揺さぶるのです。
企業の理想が単に言葉で表現されるのみならず、当事者の行動の開示によって(アレントが言うように)「私たちは何者か」という問いへの答えを含んでいるような広報が実現すると、情報の読み手にとっては、事業が今後も伸びていくイメージもつきやすくなります。採用広報においては、こうした一貫性を意識してみてください。
もちろん、一社員が、どのような思いで商品を開発したのか、という個人のストーリーも求職者の関心を引くものですが、当事者の退職のリスクも考慮すると、まずは経営者のストーリーを開示するのがいいでしょう。経営者のストーリーがあると、行動の当事者たる経営者に共感する求職者を引き寄せるだけでなく、従業員も、共感をもって事業活動に取り組みやすくなります。
また経営者自身にとっても、「信念を曲げず、言行一致を貫くべし」と自らを鼓舞することになります。連載第2回でも触れましが、決して強みや成功体験だけを語る必要はありません。時には弱みや失敗の経験を開示し、信念を貫いて乗り越えた経験を語ったほうが、裏表のなさが際立ち、共感につながります。