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広報担当者の事件簿

東京地検特捜部の家宅捜索 インサイダー取引への道程〈後編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    記者たちから記者会見を強く迫られたダンタノンホールディングス広報部長の龍崎晴臣。副社長の寺畑祐吉に会見を依頼するが、「一階で説明すれば十分」とはねつけられてしまう。互いに退かない二人に、広報課長の虻川豪が「広報が露払いを行います」と提案する。寺畑も渋々了承し、記者会見が開かれることになった。

    ©123RF.COM

    牙を剝く“犬”と震える手

    「誰がやるんですか」広報課長の虻川豪が不安げな声で訊いてくる。「副社長に出てもらうしかないだろ」エントランスに集まった報道陣の集中砲火を浴びたばかりの龍崎晴臣は吐き捨てた。龍崎にとって目の色が変わった記者たちが発する雰囲気は、経験したことのない異様なものだった。

    社長逮捕という事実は、龍崎たちの想像を超えた衝撃として世の中に伝播していた。海外店舗を含めて七百五十五店舗を展開する巨大バラエティショップ・ダンタノンホールディングス。二十代の若者を中心に圧倒的な人気を誇り、店内は昼夜を問わず賑わっている。そんな上場企業のトップがインサイダー取引で手錠をかけられ、自宅から連行される映像が全国に流れたのだ。業績への影響も避けられないだろう。

    メディアはいつでも意のままに操れると高をくくっていた。企業の苦労などろくに理解しようとせず、取材の際も事前に勉強してこない記者が多かった。来ればいつでもネタをもらえると思い込んでいる連中の意識はじつに浅かった。“餌をまけば食いついてくる犬”龍崎の目にはそう映っていた。

    「今までどれだけいい思いをさせてやったと思ってるんだ」龍崎は苛立ちを抑えきれない。エントランスから受付横のセキュリティーゲートを抜け、エレベーターが降りてくるのを待っている。「まったくですね」虻川が同意の言葉で慰める。扉が開き龍崎、虻川の順に乗り込む。

    飼い犬に手や脚を何十回も噛まれた龍崎の動揺は小さくない。腕組みをした左手の指が小刻みに右腕を叩いている。エレベーターが目的階に到着し、扉が開く。毛足の長い絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。寺畑祐吉副社長の在室を秘書に確認する。トップが逮捕され、家宅捜索までされた日に外出する役員などいるはずがなかった。ドアをノックする。「どうぞ」扉の向こうからトーンは低いがよく響く声がした。

    「下に記者たちが集まっています」龍崎が報告する。「どんな感じだ」まあ座れとソファーを指差す。「なぜ誰も説明しないんだと⋯⋯記者会見を要求してきています」寺畑にも見当ぐらいつくだろう。自分は関係ない、そう考えているんじゃないだろうな。龍崎はさらに苛立つ。「きみがやればいいだろう。常務執行役員なんだから」予想通りとはいえ思わず落胆の表情を浮かべてしまう。

    「さきほど私が一度説明しましたが、しかるべき立場の者に説明を求めています」「きみがしかるべき立場の人間じゃないのか」寺畑が表情を消す。お前がやれと視線が圧力をかけてくる。「私より上の者を求めているようです」龍崎が寺畑を見返す。ここで怯むわけにはいかない。再び自分がのこのこと出ていけば叱責を浴びることは明白だ。

    社長逮捕という衝撃を考えればナンバーツーの寺畑が出ていくべき事態なのは誰でも分かる。それでも出ようとはしない。「私に出ろと言いたいのか」「副社長しかおりません。私も同行させていただきます」龍崎は視線を外さず語気を強める。「チッ」と舌打ちした寺畑が渋面をつくる。どうして俺が説明をしなきゃならないんだ。顔にそう書いている。貧乏くじを引いたとでも思っているのだろう。“副社長なら肚を決めろよ”龍崎が胸の内で呟く。

    「記者を抑え込むには記者会見しかありません。セッティングします」「記者会見?一階へ降りて説明すれば十分だろ。記者会見までする必要はない!」寺畑の顔が朱に染まる。「下に降りて説明したところで必ず記者会見を求められます。これ以上、我が社のイメージを壊せません」龍崎もこれ以上引けない。「あの⋯⋯」龍崎の隣で黙っていた虻川が遠慮がちに言う。寺畑と龍崎が視線を向ける。「なんだ」眉間にしわを寄せながら寺畑が睨んでくる。

    「記者会見の前にリリースを配り、広報が事前説明を行ってから副社長の会見を始めるのはいかがでしょうか⋯⋯。事実の説明は広報サイドで行い、副社長はお詫びを申し上げることで、記者会見の熱は下げられると思います。上場企業のトップが逮捕されているわけですから、どこかのタイミングで頭は下げなければなりません。副社長しかおりません。露払いは広報が行いますので⋯⋯」虻川は、脇の下に汗が流れるのを自覚する。

    「それでいかがですか」珍しく虻川の提案に賛同した龍崎だったが、自分を飛び越えて発言した部下に内心穏やかではない。寺畑は渋々ながら首を縦に振った。

    会場にはすでに百人を超える記者と数十台のテレビカメラ、壇上前にはスチールのカメラマンが二十人ほど開始を待っている。「本日はコロナ禍の中、また急なご案内にもかかわらずお越しいただきまして大変恐縮でございます。これより当社社長の逮捕に関しましてご説明をさせていただきます」司会席の虻川がマイク越しに挨拶する。テーブルにはすでに資料が配られている。慇懃無礼な虻川の声が...

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