日本唯一の広報・IR・リスクの専門メディア

           

PR関連会社 活用ガイド2018

PR会社に依頼する前に知っておきたい! PRビジネスの歴史的成り立ち

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

PRエージェンシーの仕事はどのように生まれ、発展してきたのか。広報担当として外部のプロフェッショナルに相談をする前に、その歴史的背景とエージェンシーの分類などを知っておこう。

1.アメリカにおける歴史的成り立ちと発展

私はメーカーで10年間広報PRの仕事に携わった後、PRエージェントとして活動しており、今年で20年目を迎えました。この間、多くの企業の広報PR業務に関わってきましたが、今でも初対面の方から「PRエージェンシーとは何をしているのですか」と聞かれることがあります。

本稿は、クライアント・PRエージェンシー双方を経験してきた立場から、専門職としてのPRエージェンシーの歴史的成り立ちから、その発展過程を振り返るとともに、日本のPRビジネスの現状・課題を整理し、彼らとの効果的な付き合い方について考えてみたいと思います。

19世紀のアメリカは、マスメディアの形成・発展によって、情報(コンテンツ)掲載を代行する広告業と、企業とメディアの間で情報提供による紙面づくりに関わるPRエージェントという職業を、新たに生み出しました。当時、米国政府(大統領)が、国民に広く政策を知らしめるために、新聞記者出身の広報官による情報発信を始め、政府が広報PRに早くから注目していました。

実業界では、初めて列車による巡回サーカスを始めた興行主のP.T.バーナムが、PRエージェントを巡業スタッフに加え、巡業先を先回りして、告知記事の掲載に取り組みました。新聞・雑誌というマスメディアが普及し、一般大衆への情報提供が可能となったことから、バーナムの手法は成功を収めます。

一方、19世紀末から20世紀初めにかけて、マスメディアによって形成された国内世論が、行政や企業経営に大きな影響力を持ち始めた時代でした。イギリスに代わって世界一の工業国になったアメリカの成長を支えたのは鉄道や鉄鋼・石油業界でした。

しかし、カーネギーやロックフェラーの強引な企業経営手法は、世論から厳しい批判を浴びていました。それまで沈黙を続けてきた企業経営者たちは、自己防衛のために世論に対応しなければならず、PRエージェントに助言を求めました。

さらに、連邦政府は鉄道や石油企業をはじめ、市場を独占していた大手電信電話会社を国有化するべく、法制度整備による監視を強めました。これに対して、民間企業は自由競争こそ、一般大衆に恩恵をもたらすことを理解してもらうために、情報発信を通して世論を味方にしようと試みました。経営者たちは、これらの活動を通して、情報隠蔽より情報公開が経営上好ましいことに気づき、その業務を請け負うコミュニケーションの専門家を求めていたのです。

そこに、アイビー・リー(写真)をはじめとする、主に新聞記者出身で書く技術を持つPRエージェントが必要になったわけです。プレスリリースや記者会見、広報誌、クリッピングといった、私たちになじみ深い広報手法の多くは、20世紀初めに活躍したPRエージェントのアイビー・リーがこの時代に発案・実用化したものです。



図表1 アメリカ 現代パブリック・リレーションズの成り立ちと発展

"Managing Public Relations"Grunig& Hunt(1984)p.22をもとに筆者作成

2.日本におけるPRビジネスの本格的導入と発展

明治維新以降、日本でも新聞・雑誌の創刊が続きましたが、明治政府の言論統制に見られるように、多くの新聞が富国強兵政策の片棒を担がされ、ナショナリズムをあおるような報道を続けました。第二次世界大戦終結まで、日本のマスメディアは自由かつ健全な世論形成ができなかったといえるでしょう。GHQは終戦後、日本の民主化政策実現のために、アメリカで発展した広報PRの手法を紹介し、その普及に努めました。

しかし、当時の日本には米国のような民主主義を形成するマスメディアや世論が十分に根付いていない段階であり、またGHQが日米安保条約締結後に日本から撤退したことで、広報PRを実践する企業や行政団体に対する、教育や実践支援は不十分だったと思われます。この間、海外視察などを通して、広報PRの重要性に気づいた行政トップや経済団体首脳もいましたが、日本における広報PRビジネスはしばらく傍流に置かれたままでした。

1970年代以降、多くの日本企業が世界市場に進出しました。彼らは、高度経済成長やオイルショック、バブル経済、リーマン・ショックといったグローバル経済社会の中で奮闘するうち、世界基準にあった企業経営や会計基準の導入を求められ、企業広報PRの重要性も認識されるようになりました。

例えば、今までは総務部や営業部門に所属していた広報担当者が、広報部や広報室として独立して社長直属の部門となりました。また、CSRの導入に伴い広報PR部門が社内外コミュニケーションのまとめ役を担うようになりました。さらに、現在ではCSR/CSVからSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)へと企業の果たす役割の変化に伴い、広報PR部門の業務範囲とその責任はますます大きくなっています。

日本は欧米に比べて、広報PRのプロ育成という観点で遅れをとっていました。しかし、日本パブリックリレーションズ協会が2007年に開始したPRプランナー資格認定制度や、2017年に国内初の広報PRを学ぶ高等教育機関として開学した社会情報大学院大学など、実務家養成に対する取り組みは始まっており、今後の広がりに期待しています …

あと67%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら

PR関連会社 活用ガイド2018 の記事一覧

PR会社に依頼する前に知っておきたい! PRビジネスの歴史的成り立ち(この記事です)
外資大手の元広報本部長が明かす 成功する「PR会社の選び方」
広報会議Topへ戻る

無料で読める「本日の記事」を
メールでお届けします。

メールマガジンに登録する