市民離れした役所、繰り返される汚職<後編>
【あらすじ】
地方都市H市の職員と業者との癒着を新聞記者から突きつけられた、市民広報課長の沢野毅彦。彼は異動間もない豊田広介をマスコミ対応に指名した。経験もなく現実に向き合う広介に、沢野は記者と対峙する自身の姿をすべて見せる。やがて事態は職員の逮捕にまでおよび、広介は市長による記者会見の進行を任されることになった。
報道対応
「ここではなんなのでちょっと出ませんか」。北雪新聞記者の桐生合志がエレベーターの方向に顔を向ける。「そのほうがよさそうだな」。沢野毅彦が目で頷く。2人の背中を見ながらエレベーターに乗った豊田広介が3階のボタンを押す。3人以外は乗っていない。2階にある記者クラブからは階段で上がっていけばすぐだが、2人とも階段を利用する気分ではなかった。カウンターでセルフサービスのコーヒーを注文し、カップを持って打ち合わせ用のソファに3人で座る。
「そろそろ打ちますよ」。ふたがされたままの飲み口に沢野が口をつけようとしたとき、桐生が上目づかいに言った。「限界ということもありますよね」「……そうか」。桐生は沢野の隣に座っている広介を無視しているかのように顔を見ない。"俺はあんたと話してるんだ。ガキなんか同席させるな"と言われているようだ。「サンズイ(*)は慎重に進めないとな」。沢野の言葉に苦笑しながら桐生が言う。
「沢野さん、3年前も同じだったじゃないですか。あのときも我々は我慢して動かなかった。裏も取れていた……でも打たなかった」。桐生が沢野を真っすぐ見る。窓の外を見ていた沢野も目を戻し桐生を見つめる。1秒、2秒……。H市本庁舎に入館した者なら誰でも利用できるカフェの最奥に、難しい顔をした男3人の存在は明らかに浮いている。このテーブルだけは時間が止まっているような錯覚を覚える。5秒、6秒……。
広介はイベント会場で初めて会った、冴えないオヤジにしか見えなかった沢野を思い出していた。張り詰めた空気が半径1メートル四方を覆っている中に広介もいた。事情など理解できないまま"担当"を押しつけられて、この場の同席を命じられ、ただ座っているだけで時間ばかりが過ぎていくのを待っている。「……打てば、地検がもっと強硬になっていたかもしれない。いやそれより、我々が動いていたら……」。
広報のしんどさはあんなもんじゃなかった、と桐生が付け加えた。課長級職員3人が本庁舎を去ることで終息し、とかげの尻尾を切っただけの灰色の対応に市民からあがった非難の声は、しばらく止むことはなかった。支所で対応にあたった広介でさえ、二度とあんな思いはしたくなかった。「でも、今回は……」あとの言葉を桐生が言いよどむ。さすがにここではまずいと思ったのだろう。
副市長と水道課長が出入り業者から賄賂を受け取っているとは言えない。桐生がカップを口につけながら顔をしかめる。「そんなに待てませんよ」「分かった、あさっての夕方」「そこがタイムリミットです」。分かったと沢野が繰り返す。広介には沢野の言葉が気にかかった。
昼どきということもあり店内は満員だった。この時間帯はどの店も客の食欲をそそるメニューを店頭に並べている。「社長出てきますかね」。氷越新聞記者の滝川隆三が小声で聞く。社長とは …