ゲーム会社若手社員、パワハラと過労を苦に自殺<前編>
【あらすじ】
ゲームアプリ開発会社の開発企画部門で働く京谷駿次は、上司による度重なるパワハラと過労により精神的に追い込まれ、会社のトイレで自ら命を絶った。会社側は穏便に事を収めたつもりだったが、京谷はパワハラの事実を記した詳細なメモを残していた。それが8カ月後の労災認定をきっかけに週刊誌の知るところとなり──。
告発文
「また参加できないってどういうことだよ」。
大学時代のテニスサークルの仲間で花見をやらないかという話になった。どうせだったらみんなに声をかけて賑やかにやらないか、と言ったのは自分である。一番仲の良かった藤中保も「そうだな!それがいい」と賛同してくれ、二人で手分けして仲間たちに連絡をしていった。
前回もそうだった。猛暑日を5日連続で記録した昨年の夏、任されていた企画ができ上がり「さあ、明日は飲めるぞ」と久しぶりに会う仲間の顔が浮かんでいた矢先に上司の小枝雄作から声がかかった。京谷君ちょっといいか、と背中から声をかけられ振り向くと小枝が会議室に入っていく。
「あのさあ、君、入社して何年?」「4年目ですが」「ですがじゃないよ。ですだろ」「……4年目です」。いつものが始まったか、と気持ちが沈む。「3年間、何やってきたの?企画書を読んだけど、全然ダメだよ。書き直し!」一昨日と昨日、徹夜をして書き上げた企画書が、小枝の一言で無駄になる。無駄になるのは企画書だけではない、時間もだ。
ゲームアプリ開発会社のファルコンは、仲の良かった先輩が入社した会社だ。京谷駿次は大学3年の冬、友達と訪問した。本社のある大手町は、ここ2、3年で外資系ホテルが開業しインテリジェントビルが立ち並ぶ憧れの街に変貌しつつあった。職場環境としては申し分のない地域である。
不機嫌そうな顔をした小枝が会議室の窓外に顔を向ける。つられて横に目をやると皇居の木々が見えた。「どこが悪かったんでしょうか」と尋ねるが、ふんっと鼻を鳴らしたまま、小枝は京谷を見ようとしない。薄笑いを浮かべた後、ようやく口を開いた。『君の企画書はさあ……』。とても納得のいく説明ではなかった。
入社してすぐに開発企画部に配属された。もともとゲームビジネスに興味があった京谷は、入社前から市場ニーズの調査はもちろん、ゲームのデザインまで独学で勉強していた。その経験と努力が評価され、2年目の一昨年には企画を任されるようになっていた。そして昨年、市場のニーズを掴んだ京谷が企画したゲームアプリは、ヒット商品となった。京谷自身、仕事への充実感に包まれ次の商品企画を練っていた。
そんな折、昨年7月の人事異動で上司としてやってきたのが小枝だった。小枝は着任早々、京谷の企画に何かと『注文』を付け、担当役員が出席する検討会議に企画書をあげようとはしなかった。リーダーである小枝以下の部内社員が集まる企画会議の場では、何度書き直しても駄目出しばかり。
「どこがダメなのか、教えていただけますか」と聞いても、そんなことは自分で考えろ!の一点張りで、「運良くひとつヒットしたからって、いい気になるんじゃないぞ」と、他の社員の前でまくしてた。その言動には憎しみが込められているとしか思えない。なぜ自分だけが……。理由など全く心当たりがない。会社での毎日は堪(こら)える日々に変わっていた。
「7月から、会社で過ごす時間がどれだけ多くなっただろう」。京谷がつぶやく。誰もいなくなった深夜、自分の席の周囲だけが暗闇に浮かび上がっている。「申し訳ない。次は何をおいても行くから。許してくれ~」と、藤中には努めて明るい口調で謝った。「あんまり無理すんなよ、じゃあな」。欠席の理由を聞いてこなかったことが救いだった。上司にいじめを受けているとは、口が裂けても言えない。
今は堪える時期なんだ、と自分に言い聞かせながらここ数日も始発電車でアパートに帰る日が続いている。着替えに戻り、ほんの少しの仮眠を取ってすぐにまた会社に引き返す。この繰り返しだ。昨年の夏から体重は7キロ減った。誰の目にもやつれていることは明らかだった。
トイレで用を足し、洗面台の鏡に映った自分の顔を見た京谷の頬を涙が伝う。「なぜだ……ちきしょう……」。ふとスマートフォンの画面を指で叩いてみる。待受画面には仲間たちと写った笑顔の自分がいる。ツイッターの画面を開くと仲間たちのツイートが並んでいた。
「駿次、仕事に精が出るなあ。こっちは盛り上がってるぞー」「デキる男はツライね~。まあ、頑張れよー」「仲間より仕事優先か? お前も変わったねー」「仲間といると楽しいぞ。駿次、今からでも遅くない!飲みに来いよ」。
涙が止まらなかった。励ましでも、皮肉でもいい。人としての感情を取り戻したかった。何カ月も笑った記憶がない。会社での会話はほとんどなく、口を開くときは「分かりました」「申し訳ありません」ばかり。喜怒哀楽の『喜』『怒』『楽』など忘れてしまった。
鏡越しに映った東京の夜景をぼんやりと眺めていると、ふと、故郷の風景がよぎる。右手に持ったスマートフォンから実家を探しかける。深夜11時だというのに、発信音が2回鳴っただけで止まった。受話口から、京谷ですがという母の声が聞こえてくる。「俺だけど……」「どうしたの?珍しいじゃない、こんな時間に」「正月帰れなかったから、今度の休みに帰ろうかと思ってね。母ちゃん、元気?」「お変わりありませんよー」と明るい声で母が返してくる。
「お前が帰ってくるなら、ちらし寿司でもつくろうかね」「……うん……楽しみにしてるよ」「駿次大丈夫かい?」「今、大事な企画任されているからね。多少は疲れてるかもね。毎日、頑張ってますよー」と京谷も努めて明るく振る舞う。「帰る日を決めたら、また連絡する。じゃあね」と通話を終える。全身から力が抜けその場に崩れ落ちた。
ビルが立ち並ぶその中で、いったいどれだけの人たちが働いているのだろうか。ほとんどの人間が田舎育ちなのに、そんことはおくびにも出さない。スーツを身にまとい素の自分を隠し、欲が頭をもたげ仲間を蹴落とすことに鈍感になってしまう。「小枝はなぜ自分ばかりいじめるのだろうか……」何度自問しても答えを探し出すことはできなかった。「もう疲れた……」。さっき話したばかりの母の顔が浮かんだ。「母ちゃん……」これが最後の言葉になった。
「それはどこから入った情報なんですか?」。ファルコン広報室の藤沢弥生が語気を強める。「言えるわけないでしょ(苦笑)。あなた広報担当になってどれぐらい?」「4カ月ですが。それが何か」「情報源秘匿というものがあるんですよ。覚えておいたほうがいい」とにかく、と面談の相手『週刊潮流』記者の矢部博人が続ける ...