販売促進の専門メディア

           

シン・トップの現場力

磯丸水産の成功に、コロナ禍の苦しみ……今振り返る、社長としての10年間

佐藤 誠氏(SFP ホールディングス)

新しい時代における流通・小売・サービス業界で、自ら事業を牽引するキーパーソンに迫る本企画。第10回は、鳥良や磯丸水産などを運営するSFPホールディングス 代表取締役社長 佐藤誠氏。磯丸水産を成功させた裏側や、コロナ禍を乗り越えた当時の想いに迫った。

誰かの生活の一部となることに飲食店への魅力を感じた

──これまで、外食産業一筋のキャリアを歩まれています。どのような経緯でこの道を志したのでしょうか。

学生時代に飲食店でアルバイトをしていたことが、この業界に飛び込むきっかけでした。そこで、飲食店で働くことのやりがいを見つけて、外食を「産業」と呼ばれるまでの業界に成長させてみたいと思ったことが大きな要因になりました。

当時の出来事で忘れられないのが、お仕事終わりの時間帯に、毎日のように来店してくださる1人のお客さまの存在です。毎回ビールとつまみを注文し、サクっと召し上がってお帰りになるような、そんな常連さまでした。そのお客さまを見て気づいたのは、飲食店の存在が誰かの人生や生活の一部になっているということ。飲食店が、仕事で疲れた心を癒やしたり、特別な日にはワクワクさせたり。そんな、誰かの人生や生活の一部になれる飲食業に心惹かれました。

やりがいに気づいた一方で、この業界の難しさを感じていたのも事実です。

というのも、私がアルバイトをしていたのは、飲食店で働く人に対する社会的なイメージが良くなかった時代。その頃は到底、外食業界を「産業」とは言い難いときでした。

ですが、悪いということはすなわち、伸びしろがあると捉えることもできます。努力すれば必ず良くなると思っていたんです。外食・飲食店を、自動車などと同じように「産業」と呼ばれるまで成長させたい。この業界を変えていきたいという想いが生まれたのもアルバイトがきっかけでした。

そこで、大学卒業後に調理師専門学校に通い、本格的に飲食の道を志し始めたのです。

──大学を卒業してから専門学校に通うとは、珍しい進路なのではないでしょうか。

相当珍しかったと思います。大学では体育学部を専攻していたため。体育教師になる選択肢もありました。ですが、それよりも飲食業への魅力が勝りました。

こう振り返ると、何かを良い方向に「改革」してみたいという想いが、いつも軸にある人生なのかもしれないですね。

会社を成長させるためには磯丸水産の成功が不可欠だった

──SFPホールディングスに入社したのは、1988年。その後、2013年に社長に就かれています。当時の想いをお聞かせください。

実は社長になること自体、とても悩んだんです。責任の重さを考えると、すぐに「やります」とは言えませんでした。それまでも部署の責任者を経験したことはあったものの、それらとは段違いの責任を背負うことになりますよね。「自分はそんな大きな責任を持って仕事ができるだろうか」と思ってしまったのが、当時の正直な気持ちでした。

ですが、私に任せたいと言ってくださった人たちのことを考えると、覚悟を決めなければならない。より良い会社にするために精一杯自分ができることをやろうと思いましたね。

私が当社で経験してきたのは、営業や商品開発だけではなく、衛生管理や人事など多岐にわたります。社内のあらゆる仕事をやってきたため、会社の全体感を把握しながら、各部署の課題を理解している状態でした。こういった経験も、社長としてやっていこうと思えた一つの理由になりました。

──社長として活躍なさって10年を迎えました。特に注力してきたことは何だったのでしょうか。

ひとつが磯丸水産の成長戦略です。当社は鳥良という名古屋の手羽先唐揚を名物とするお店から誕生...

あと62%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら

シン・トップの現場力 の記事一覧

磯丸水産の成功に、コロナ禍の苦しみ……今振り返る、社長としての10年間(この記事です)
「高価格帯のキャンディをどう売るのか」就任1年目の社長が行った社員の「意識改革」
目指すのはブックだけではない、リユースのブックオフ リユースビジネスの総合商社を実現するのは、「一人ひとりの現場スタッフ」
ロイヤルホスト生田社長、「コロナ禍は存在意義を確信するきっかけに」
販促会議Topへ戻る

無料で読める「本日の記事」を
メールでお届けします。

メールマガジンに登録する