月刊『宣伝会議』は2024年4月に創刊70周年を迎えました。周年を記念し、いま広告・コミュニケーションビジネスを取り巻く課題を有識者、実務家の皆さんと議論する座談会を企画。4回目となる今回は、昨今蔓延する「広告」に対するネガティブなパーセプションをいかに変えていけるかをテーマに、クリエイター視点でお話いただきました。
人の心を動かすのではなくザワザワさせるものになっている
―自己紹介をお願いします。
福永:入社から30年近く、コピーライター、プランナーとしてCM制作に携わってきました。2020年に現在のBXCC(ビジネストランスフォーメーションクリエーティブ・センター)に異動。企業に伴走し、ワークショップなどを通してMVVを策定するといった取り組みを行っています。
松井:私は2012年に広告制作プロダクションのTYOに入社しました。グループ組織改編で異動し、現在はFMXでテレビCMだけではなく、コミュニケーションデザイン領域全般の仕事に携わっています。
杉山:これまでのキャリアでは主に広告以外、イベントなどのブランドアクティベーションに携わってきましたが、最近はテレビCMのクリエイティブに関わる機会が増えています。
―いま日本の生活者は、「広告」という存在をどのように捉えていると思いますか。
福永:広告の一番の良さは、待っていると勝手に流れてくることだと思っています。しかしコンテンツを受け取る場所がインターネットに移行するなかで、自分が能動的に見たいと思っているコンテンツに急に差し込まれる“邪魔”な存在になってしまった。テレビであれば番組の途中でCMが流れることは理解されていますが、ネットの世界だと、コンテンツの視聴体験が思わぬところで阻害されてしまうという印象を持たれているのだと思います。そうした体験が、広告全体に対する印象を左右してしまっているように感じます。
松井:子どもとYouTubeを見ているのですが、広告が入ると泣き叫ぶんですよ(笑)。そこでなぜ「邪魔者」扱いされてしまうのかを分解して考えてみたのですが、テレビの場合は、事前予告しながら箸休め的に広告が入るのに対して、デジタルメディアは何の脈絡もなく突如、土足的に広告が流れてくるケースが多い。福永さんのお話にも似ていますが、タイミングや品性が重要なのではないかと思っています。
杉山:「(つい内容が気になる記事やサイトの)このコンテンツを見たいなら広告も見るでしょ」みたいな精神でつくられたとしか思えない、よくないクリエイティブも蔓延してしまっています。これまでの広告業界をつくってきた先人たちが、「見ていて嫌なものにならない広告にしよう」と、知恵を絞ってきたなかで、広告文化が育まれてきたと思います。そうした背景のある広告も、そうでないネット上の広告も、同じ「広告」としてひとくくりに捉えられてしまっているところに問題意識を抱いています。
福永:クリックされればいい、電話をかけさせればいいと、心を動かすのではなくザワザワと焦らせるクリエイティブになっていますよね。そして、どうすれば心がザワザワするかは研究がしつくされている。
松井:デジタルCMの場合は、同じ広告に当たる頻度も高いので、ボディーブローのようにイヤな感情が蓄積されていくのかもしれません。
杉山:心に響く表現を通して商品やブランドを好きになってもらうというアプローチが「広告」の王道だったと思うのですが...