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キャリアアップナビ

目の前のことを頑張れる人にだけ次の扉は開かれる

マスメディアン

キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は、日立製作所でグローバルブランドコミュニケーション本部副本部長兼コーポレート広報部長を務める森田将孝さんにこれまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずではなかったのに…」とならないための、転職情報をお届けします!

Q.最初に新聞社に入った経緯を教えてください。

僕は小学生の頃からアルペンスキーをやっていましたが、高校時代にどうしても獲りたいタイトルがあって、高校3年生の時に大学受験を1年先送りにしました。そんな時、クラスメートから卒業アルバム制作委員を頼まれました。元々写真を撮るのが好きだったこともあり、アルバムが完成した時には感激しましたね。それを見て、人の記憶に残るモノをつくりたいと思うようになり、就活では雑誌の編集者を目指しました。でも、僕が大学を卒業した1996年は就職氷河期。特にマスコミ業界は厳しく、就活はうまくいきませんでした。それでも諦め切れず、1年後に再挑戦するつもりで、スキーショップのアルバイトを始めました。偶然なのですが、ショップのオーナーが地元の埼玉新聞の元営業の方で、ある時、古巣の副社長と飲むからおいでと誘ってくれて。その副社長から「なぜ就職しないの?」と聞かれ事情を話したら、「すぐにうちの試験を受けなさい」と。季節は秋に差し掛かった頃。とんとん拍子に話が進み、半年遅れで入社することになりました。

Q.読売新聞への転職の切符はどうつかんだのですか?

記者職として整理部に配属。翌年に運動部に異動し、2年が経った時、高校野球のキャップを命じられました。何十人もの記者の球場の配置などを取りまとめ、県の代表校が決まったら、甲子園に随行して取材します。運動部の若手記者の登竜門となる、なかなか大変な仕事でした。

翌春、お世話になったある高校の監督から突然呼び出され、読売新聞の中途採用試験を受けるように勧められたんです。野球部の父母会に読売の幹部がいて、「面白い記者がいたら紹介してほしい」と言われていたようで。転職など考えたこともなく断りましたが、監督の顔を立てる意味でも試験を受けたら、ご縁があって合格して転職を決めました。その時は、全国紙の運動部でメジャーリーグや欧州サッカーを取材したいという夢も膨らんでいました。

ところが、僕は地方部限定の採用だと知らずに入社してしまっていた。入社後に配属先の宇都宮支局長から「君は運動部には行けないよ」と言われてがく然としました。でも、腐っている暇はなく、毎日、朝刊と夕刊の2回の締め切りが来る。必死で取材に飛び回りました。

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