自ら体験した情報の「自分ごと化」発信にこだわりZ世代のリアルな声を世に伝える トラウデン直美の広告観
女性ファッション誌『CanCam』の専属モデルとして、またテレビの情報発信番組にも出演して注目を集めるトラウデン直美氏。華やかな世界で活躍する一方で、社会問題にも関心を寄せ、知性派モデルとしてマスメディアを中心に様々な場で情報を発信している。トラウデン氏が思うメディアを通じたコミュニケーションのあり方について、考えを聞いた。
映画字幕翻訳者、通訳者として長年映画界の第一線で活躍してきた戸田奈津子氏。巧みに言葉を操り、人々に発信していく戸田氏に、言葉が人々や社会に与える影響力や、最近の広告のあり方について思うことを聞いた。
戸田奈津子(とだ・なつこ)さん
1936年生まれ。東京都出身。津田塾大学英文科卒業後、生命保険会社の秘書の仕事を経て、フリーの翻訳や通訳などの仕事をしながら映画字幕翻訳者を目指す。1970年『野性の少年』等の字幕を担当。1980年『地獄の黙示録』が出世作となる。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『タイタニック』など今日まで1,500本を超える洋画の字幕を担当。著書に『KEEP ON DREAMING』(双葉社)『字幕の花園』(集英社)など。
『インディ・ジョーンズ』シリーズ『E.T.』『タイタニック』『ミッション:インポッシブル』シリーズなど、数多くの映画字幕翻訳を手掛けてきた戸田奈津子氏。字幕だけでなく、ハリウッドスターの来日時には通訳も務め、トム・クルーズ氏やフランシス・フォード・コッポラ監督などとは、プライベートでも親交を深め、公私ともに厚い信頼を寄せられている。
幼い頃に観た外国映画に衝撃を受け、学生時代はずっと映画館に通いつめていたという戸田氏は、映画にかかわる仕事に憧れるようになり、大学を卒業する直前から字幕翻訳の道を志す。卒業後、一度は映画とかかわりのない職に就くものの、ゴールは字幕だった。
当時はどのようにすれば映画字幕翻訳者になれるのか分からず、映画の冒頭に出てくる「日本版字幕 清水俊二」という文字だけを手掛かりに、清水氏のもとに「映画字幕翻訳をしたい」と手紙を送ったという戸田氏。清水氏は日本の英米映画の字幕翻訳における第一人者として、1930年代~1980年代に活躍した人物。返事が届き対面したものの、清水氏からは「映画字幕翻訳の世界は難しい」との言葉が。しかし、それでも戸田氏は「自分には映画しかない」と諦めることなくその思いを貫いていく。
大学を卒業して10年後、映画字幕翻訳や通訳の仕事が少しずつ舞い込むようになってきていた。そんな戸田氏が映画字幕翻訳者として本格的に仕事をスタートさせたのは、字幕の道を志して20年が経過した、40歳を過ぎた頃。きっかけとなったのは、1976年に『地獄の黙示録』を撮影中だったコッポラ監督が来日し、通訳兼ガイドを務めたことだった。本編完成後、コッポラ監督の推薦を受けて字幕翻訳を担当。この仕事で戸田氏は映画字幕翻訳者として広く知られるようになった。
「言葉」を巧みに扱い、映画字幕翻訳や通訳を通じてそれぞれにふさわしい表現を人々に発信する戸田氏。「映画字幕翻訳」と「通訳」は、シチュエーションも表現手法も異なるものの、2つの共通項は「コミュニケーション」だ。通訳の際には、先入観を持たないという自身のポリシーのもと、あらかじめ対象者についてリサーチをせず、その場で臨機応変に対応しながら...