『三省堂国語辞典』の編集委員である飯間浩明氏と、博報堂のクリエイティブディレクターとして活躍する河西智彦氏がそれぞれの視点で発見した、「逸脱」した言葉について語り合いました。
「正しい言葉」なんてどこにも存在しない
飯間:今回のテーマは「逸脱する言葉たち」。私は国語辞典の編集委員をしていますが、実は、言葉は「逸脱」の集まりみたいなところがあるんです。「正しい言葉って、なんだろう?」と探してみても、実はどこにもない。それに気がついたのが、辞書の編纂の仕事で「用例採集」をしていたときでした。一例として、私が街中で見つけた「逸脱した言葉」をご覧ください。
「大切なあの人へ、あたたかいを贈ろう。」
これは、ユニクロのコピーですね。「あたたかいを贈ろう。」という部分が、文法的な逸脱です。「あたたかさ」という“名詞”は贈れても、「あたたかい」という“形容詞”は贈れないはず。ただ、最近はこの用法を使ったコピーが特に多いんですよ。
河西:たしかによく見ますね。このコピーの場合は、あえて形容詞を使うことで「引っかかり」が出ます。あたたかさに対する実感というか、情感がこもる感じを受けます。
飯間:「あたたかい」は終止形なんですが、形容詞の終止形には気持ちがこもるんですよ。流行りの用法として、多用されているんでしょうか?
河西:コピーは、まず戦略から考えていくものですが、最後にコピーを磨く作業があるんですね。この場合、最初は「あたたかさ」と書いていたが、後から品詞を変化させた結果、生まれた可能性があります。僕らの世界はある意味、言葉の逸脱だらけかもしれませんが、まずは「意味が通ること」を大事にしています。その範囲内であれば、文法的には多少ずれていても「引っかかりを生むから」という理由で使うことも多々あるわけで。
逆に言えば、自分で考えたコピーから名詞を取り出して、形容詞の終止形に変えてみる。それによって言葉に引っかかりが生まれる、とも言えるわけです。こういうやり方は、言葉の磨き方として大いにアリだと思います。