「推し」に大切なのは人として一本筋の通った「人間性」「言葉」で可視化し「共感」でファンとつながる-モモコグミカンパニーの広告観-
楽器を持たないパンクバンドとしてブレイクし、新しいアイドル像を開拓したBiSH。メンバーの一員であるモモコグミカンパニーさんは、作詞を手がけたり、グループのヒストリー本を執筆するなど、メンバーの思いを文字に起こしてファンに伝えてきた。グループが解散し、文筆家として一歩を踏み出した彼女が大切にしたいファンとのコミュニケーションとは何か、話を聞いた。
自身の音楽活動に加え、歌詞の翻訳を担当する「文化通訳家」としても活躍するシンガー・ソングライターのネルソン・バビンコイ氏。複数の言語を操るネルソン氏は“言葉”をいかにとらえているのか。
ネルソン・バビンコイ(ねるそん・ばびんこい)さん
アメリカ・カリフォルニア州バーバンク出身。カリフォルニア大学バークレー校の東アジア言語・日本語学科を卒業。在学中に慶應義塾大学に1年間留学し、日本語能力検定N1(1級)を取得。2007年に再来日し、音楽、芸能活動を始める。18年に永住権を取得。SEKAI NO OWARIやAIなど、日本のミュージシャンへの英語歌詞の提供や英語プロデュースを手掛けるほか、ラジオパーソナリティやYouTubeクリエイターなどさまざまな分野で活躍している。著書に『J-POPを英語で届ける「文化通訳家」のしごと』(アルク EJ新書)。
日本を拠点とするアメリカ出身のシンガー・ソングライター、ネルソン・バビンコイ氏。自身の音楽活動に加え、タレント活動やテレビ・ラジオ番組のMC、翻訳、日本のアーティストの楽曲の英訳など、幅広い分野で活動。米津玄師さんが作詞・作曲したFoorinの「パプリカ」、SEKAI NO OWARIの「ANTI-HERO」をはじめ、加藤登紀子さんやバーチャルライバーグループ「にじさんじ」の楽曲にも英語の歌詞を提供している。
ネルソン氏が初めて日本を訪れたのは15歳の時。出身地であるカリフォルニア州バーバンクと群馬県太田市の交換留学生として、2週間という限られた期間の滞在であったが、ホストファミリーにあたたかく迎え入れられたことなどから、いつか日本で暮らしたいと思うようになったという。
帰国後に日本語を独学で学び、大学時代に留学で日本に滞在していた際は、日本の楽曲をカバーして路上ライブを実施。その時、インディーズ事務所にスカウトされたが、就労ビザがおりず帰国することに。一時は音楽活動をあきらめようと考えたが、当時流行の兆しが見えていたYouTubeで配信活動を行うことに。日本語の歌詞をアメリカ国籍のネルソン氏が歌うギャップに注目が集まり大きな話題となった。
2007年に再び来日して以降は、楽曲の歌唱以外に、「自分だからこそできる音楽とのかかわり方を見つけたい」との思いで、歌詞翻訳の仕事も始めたという。
「YouTubeによって世界に拡散されやすくなったことで、英語圏に住む人で日本の楽曲を歌いたいというニーズも増えました。しかし、皆が日本語を理解できるわけではありません。オフィシャルの英訳詞をあらかじめ用意しておけば、より多くの人に曲を届けられると考えていました。YouTubeは英語の字幕を出すこともできるので、訳詞ニーズが増えるのではないかと予想していましたね」とネルソン氏。
当初は既存の日本語の歌詞をそのまま翻訳することが多かったネルソン氏だが、転機となったのがSEKAI NO OWARIの「ANTI-HERO」の英詞制作に携わった時であるという。
「日本語を直訳するだけでは、元々意図していたメッセージや世界観が海外の人に伝わり切らないことがよくあります。『ANTI-HERO』では...