コロナがもたらす「家計不安」 続く節約志向に、企業がとるべき対応とは
新型コロナウイルス感染拡大から1年超、生活者の心理はどのように移り変わってきたのだろうか。2020年3月下旬から週次で定点調査を行ってきたインテージのデータを基に、同社生活者研究センター長、田中宏昌氏が解説する。
「過剰な不安は、個人にとっても組織にとってもコストがかる」と話す、同志社大学心理学部の中谷内一也教授。リスク認知研究の観点から、「不安」がもたらされる仕組みと「安心」を生み出すメカニズムについて解説してもらった。
ひと言で“コロナ禍における不安”といっても、その対象は幅広い。「自分や家族が感染してしまうのではないか」、「もし感染したら重篤化するのではないか」という、感染に関する不安。
また「いつになったら事態が収束し、日常を取り戻せるのか」「この先、世の中はどうなるのか」という社会生活に関する不安、勤務先や自営の業績といった経済的な不安もある。
個人の健康に対する不安から、社会の先行きに対する不安まで、不安の対象は多岐にわたっても、すべては先々の不確実性に対する不安、つまりはコロナ禍がもたらした“リスクに対する不安”といえる。
リスクがあるから不安になる。それならば、可能な限りリスクを低減できれば不安も解消できるのではないか。その問いに対してリスク認知研究を専門とする中谷内教授は、次のように答える。
「私たちは様々なリスクに囲まれています。パンデミックや災害以外にも、人間関係、さらに老後の2000万円問題が話題になったように、今や長生きすることさえもリスクといえます。こうした環境でむやみに安心を醸成しようとする行為には、なにがしかの欺瞞が含まれてしまう可能性があるでしょう。またリスクをゼロにしようとするならば、そこには莫大なコストが発生してしまいます。そこで企業や行政などの組織が、生活者の不安に働きかけることができるとすれば、それはリスクをゼロにすることではなく、いかに“緩やか”にできるかだと思います」。
さらに中谷内教授は、「多くの企業や行政が“安全・安心”とわざわざ2つの言葉を重ねて使うのは、安全と安心が直結していないから」だと続ける。「安全」とは、客観的・科学的に評価できる状態を指す。一方で「安心」とは主観的なもので心理的な状態を示す。
例えば「食の安全」に関して、1960年代に比べて日本での食中毒死亡者数は激減し、科学的に評価すれば安全性は高まった。しかし人々の意識や価値観の変化、あるいは情報伝達の仕組みが変化したことから、以前よりも食に対する不安は問題になっている。客観的、科学的根拠に基づいて「安全性」を指示しても、それが必ずしも「安心」という感情の醸成につながるわけではないのだ。
リスク認知研究では、ハザードに対する人びとの不安は、それぞれのリスクを管理する、管理組織や管理者への“信頼”と強く結びついていることが、明らかにされている。
「人間は、自分ひとりではすべてのリスクをコントロールすることができない。社会全体で役割分担しながら...