海外からの年間旅行者数は9割減 訪日外国人ビジネスの今後の展開とは
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い入国制限措置がとられるなど、海外からの旅行客が見込めない状況が続いている日本。コロナ禍での海外の顧客に対するビジネスの現状を、日本貿易振興機構(ジェトロ)の古川祐氏が解説する。
アイデアでコロナ鎖国を乗り越える!
海外との物理的な人の往来がかなわず、制限された条件のなかで新たな売上の創出が求められている現在の日本。同様に、限られたルートのみで交易を行っていた江戸時代から、この状況を乗り越える知恵を学ぶことはできないであろうか。日本史などの社会科講師として活躍する伊藤賀一氏が解説する。
グローバル化、ボーダーレス化が喧伝されてきた世界は、コロナショックによりローカル化、ボーダー化へ逆戻りしています。
ボーダーといえば思い出されるのが、江戸時代の鎖国体制や身分制度。しかし、当時の日本は不幸せだったのでしょうか? 上水道が完備された江戸の人口は世界最大。下水を肥料に利用するエコシステムや、階級ごとに相互扶助が行き渡った礼儀正しい国民性。何より、男女・年齢を問わない寺子屋教育は世界屈指の高水準にありました。そんな江戸時代から、今後の経済成長について考えてみました。
「経済」という言葉は「経世済民(世を経め民を済う)」を略したもので、福沢諭吉が英語のeconomyの訳として使ったことが有名ですが、文字通り、決しておカネの話だけではありません。より大きな概念です。
続いて「鎖国」の語源について説明しましょう。オランダ商館の医師ケンペルが、帰国後に『日本誌』を著しました。のちに通訳の志筑忠雄がその一部を『鎖国論』として翻訳したことで、「鎖国」という言葉が初めて使われます。確かに西洋人からすれば日本は国交もなくオランダや東インド会社と交易しているだけの、「国を鎖している」状態でした。
しかし、日本側の意識はそうではありません。幕府には「4つの口」がありました(図表1)。
ひとつ目が長崎口。幕府の直轄地で、長崎奉行を通じてオランダ、中国(明のち清)と交易していました。2つ目が対馬口。対馬藩の宗氏が幕府から許可を受けて朝鮮と交易していました。幕府には朝鮮通信使も派遣されています。3つ目が薩摩口。薩摩藩の島津氏が、幕府から許可を受けて琉球王国を実質的に支配していました。4つ目が松前口。松前藩の松前氏が、幕府から許可を受けて蝦夷地のアイヌと交易・支配していました。
このように、「鎖国」という言葉が使われてきましたが、実は当時の日本はそれなりに開かれた状態だったのです。現代の日本は、国際連合に加盟し北朝鮮を除くほとんどの国と国交がありますが...