オウンドメディアの秀逸事例
ここでは、メディアを運営し企画の考案も行っている藁品氏、岡田氏の両名が参考にしているという5つのメディアを紹介します。
広告コミュニケーションの根幹となる「コンセプト」。わたしたちはどのように、情報をインプットしてアウトプットにつなげていけばよいのでしょうか。さらにそのコンセプトを、社内やクリエイター、そしてその先の消費者に共感してもらうためには、きちんと「言語化」することが大切です。コンセプトを組みあげるためのメソッドを、「編集」と「言葉」、二人のプロフェッショナルに聞きました。
「編集」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。本や雑誌をつくる編集者の仕事であったり、動画編集や音源編集といった加工作業を想像するかもしれません。編集工学研究所で考える「編集」とは、こうした職業や作業にとどまるものではなく、とても広い意味を持っています。料理もファッションもスポーツも、AIもゲノムも環境問題も、わたしたちを取り囲む世界はすべて「編集」の対象です。
「編集力」を身につけることは、仕事上のパフォーマンスだけでなく、いかに気持ちよく生きられるかという人生のクオリティにも大いに関わります。昨今、この広義における「編集」技能や「編集力」という考え方が、さまざまな分野で注目を集めるようになっています。見通しの効きにくい世の中にあって、自ら主体的に情報を編集する力が切実に求められているということでしょう。
ではこうした「編集力」と呼ばれる技能は、わたしたちの活動の何に関わるのでしょうか。それは、情報のインプットからアウトプットまで、思考のすべての工程に関わるものです。ここでは、情報のインプットとアウトプットの間にある、発想力とクリエイティビティのカラクリの一端を見ていきましょう。
人はたいていの場合、いま自分に見えている側面から限定的に情報を受け取り、その中でとりあえずの認識をしています。意図せずに誰もが自分の見たいように世界を見ているわけですが、この固定化された視点こそが奥に広がる思考の可能性を不自由にしています。
編集力とは、ものごとの見え方や捉え方を自由にしていく力です。慣れ親しんだ思考のクセから抜け出て、新しい景色を自在に手に入れる。その最初の一歩は、インプットされた情報を多面的に捉えることです。情報は常に「地(ground)」と「図(figure)」に分けてみることができます【図1】。「地」は情報の背景にあたるもの、「図」は認識されている情報の図柄。「地」となる情報の上に、「図」となる情報が乗っています。
例えば、食卓にあるマグカップは、お店にあれば「商品」ですし、台所のシンクにあれば「洗い物」とも言えます。倉庫にあれば「在庫」ですが、ゴミ捨て場を「地」にすると「燃えないゴミ」になります。このように、「地」が変わることで「図」が変わる。言い換えれば、どんな情報も必ず何かしらの「文脈」の上に乗っている、ということです。
この「地」として存在している文脈を見ずに、「図」としての現象だけに囚われていると、視野が固く狭くなっていきます。よく「自分はアタマが固いから」という言葉を耳にしますが、これは限られた「図」に囚われて他の可能性に目が向きにくくなっている、という状態のことでしょう。少しの発想の転換でこうした囚われの状態は脱出することができます。そう考えれば「アタマが固い」というのは、その人が持って生まれた特性などではなく、ある時点から陥っている特殊な状態と言えます。
豊かな発想の源泉は誰の中にもあるものであり、その解放の仕方を獲得することが、発想力を身につける、ということです。まずは、情報にはたくさんの見え方がある、という前提に立つこと。その上で、「地」を意図的に切り替えながら、情報の可能性を引き出していきます。漠然と眺めていても「地」は動きませんから、アタマの中でスクリーンを切り替えるように意図して「地」を変えてみることが必要です。「~における」「~にとっての」「~から見た」などのように「~」の部分を入れ替えてみるといいでしょう。
この習慣を身につけるだけでも、「発想力」が手応えをもって動き始めます。
そうして情報がたくさんの表情を持ち柔らかくほぐれていくと、さまざまな物事との関連性が見えてきます。一見関係なさそうな物事の間に関連性が見つかる。この「関係の発見」こそが編集力のキモであり、世にいうイノベーションや発想力のエンジンとなっていくものです。
こうした関係の発見を頻繁に起こすためには、「これは何に似てるかな?」と思うことが有効です。情報を多面的に見る習慣と併せて、「似たもの探し」をする習慣を持つことをおすすめします。
「似たもの探し」をするということは、言い換えれば「アナロジー(類推)」の力を...