即席みそ汁の市場を開拓 定番の味を守り続けた永谷園「あさげ」の50年
高度経済成長期を経た1970年代、女性の社会進出に伴い、主婦の家事負担が増えつつある中で既に登場していた即席みそ汁。手ごろで便利なものとして一部利用されていたが、手づくりのみそ汁とは程遠いもの。そこで永谷園は“家庭のみそ汁と遜色ない上質な味わい”の実現をとことん追求した。
ロングセラーブランドのコミュニケーション戦略
協同乳業は1953年に創業。牛乳の生産や、食の欧米化に伴って乳製品の生産を始めた。その後、1955年にはデンマークから自動充填・成型機アイスクリームバーマシンを日本で初めて輸入し、日本初のアイスクリームバーの生産を開始。当時は日本橋の本社でガラス張りの工場で製造していた。四角柱のバーと包装紙に銀紙を使用していることは発売当初から変わらないという。
1960年には「ホームランバー」に名称を変更し発売。子どもをターゲットに、駄菓子屋で買える1本10円の価格に設定し、当時高級品だったアイスクリームを子どもでも買える値段で販売した。さらに、この名称変更時に取り入れられたのが「当たりつき」。スティックに「ホームラン」と焼印があった場合、販売店に持っていくともう1本食べられるという、食べながら楽しんでもらいたいという工夫を施した。
転機が訪れたのは、1970~80年代。量販店が増えたことから、マルチパックの箱型を発売した。世の中の動きに合わせて駄菓子屋から量販店へと売り場は変わったが、四角柱の形と銀紙包装は変えず「当たりつき」も継続。マルチパックの場合、1本売りをしていないため「ホームラン」以外にも「ヒット一塁打」などの表記をし、四塁打分がホームラン相当になる仕組みを取り入れ、郵送での応募に変更した。
郵送応募に切り替えてからは景品にもこだわり、子どもからの人気も獲得。1990年代にはレトロブームが到来。それまで子どもをターゲットとしていたが、発売から30年経ち当時の子どもが家族を持つようになっていたため、ファミリー層へとターゲットを転換し、ブランディングを強化した。
今年60周年を迎える「ホームランバー」。「当たりつき」でちょっとした"ラッキー"を提供してきた今年は、全ヒットラッキーパックなども発売していく予定だ。
「ホームランバー」は四角柱のバータイプの冷菓で、最初に発売されたのはバニラ味だった。その変化しない形状からも「バニラ味、四角柱のバータイプといえば『ホームランバー』」を思い浮かべる消費者が多いと営業企画部副部長の成毛真人氏は話す。
パッケージデザインは60年の歴史の中で変化があったが、包装紙に銀紙を使用した商品の販売も継続している...