消費者が情報に触れ、さらにモノを買う場がデジタル上にシフトする時代、ブランドはその変化にどう対応すればよいのか。日本ロレアルにおける新規デジタル事業の取り組みを軸に「ブランド」のデジタライゼーションの実践を考える。
写植からDTPへ 印刷会社で経験したデジタル化
今回で連載4回目と折り返し地点をすぎました。前半3回ではブランドビジネスを拠点とした私のキャリアから現職のデジタル新規事業の立ち上げ・稼働までの道のりをご紹介しました。
今回からは編集部から提示されていた「効率化が重視されるデジタルとブランドビジネスをどう融合させるべきか?」というお題について、次回までの2回で私なりの考察を深めてみたいと思います。
まず、私のキャリアとデジタルの接点を時代の推移と合わせて見ていきます。私は新卒で大日本印刷に入りキャリアをスタートしましたが、当初DTP(デスクトップパブリッシング)の台頭により、印刷業界はアナログ印刷からデジタル印刷に大きく移行する時期でした。この転換により写植(写真植字)という専門職が淘汰され、多くの写植屋さんが廃業に追い込まれたため、デジタルは人間の仕事を奪うとまで言われました(今のAIと似ていますね…)。
当時、大日本印刷で広告企画制作ディレクターだった私は、ある一定期間、アナログとデジタル両方の印刷を経験しましたが、入稿の手順や方法、スケジュールに異なることはあれども、広告やプロモーション企画にデジタルが関与することはありませんでした。この時期は、あくまでも印刷技術、つまりハード面でのデジタルへの移行だったのです。
状況が徐々に変化してきたのは、ブローシャーやリーフレットといった紙媒体が主体だった企業のコミュニケーションにWEBサイトが加わった辺りからです。ちょうどその頃、私はデジタル推進部という新部署に配属され、印刷とWEBの業務の割合がおよそ半分ずつという環境になりました。
90年代後半には、まだWEB専門の会社もなかったので、DTPを得意とするデザイナーとプログラマーを集めて、チームを結成しました。この時に初めて、紙媒体とWEBでは表現の仕方やクリエイティブが大きく異なることを痛感し、経験のないメンバーながら試行錯誤を繰り返し、WEBに適切な表現方法や技術を模索したことを覚えています。
つまり、この時期に私の仕事にデジタルがかかわりを持ち始め、デジタルを意識するようになったのです …