キャリアアップナビでは、マーケティングやクリエイティブ職のキャリアアップについて、毎月テーマをピックアップして解説します。今回は制作会社、広告会社、外資系広告会社を経て、現在はロッテでイノベーションクリエイティブディレクターとして働く後藤宏行さんに、これまでのキャリアについて伺いました。良い転職は、良質な情報を入手することから始まります。「こんなはずでは、なかったのに・・・」とならないための、転職情報をお届けします!
Q. ロッテに至るまでの後藤さんの職歴を教えてください。
私のキャリアは、コピーライターの故・眞木準さんの事務所(眞木準企画室)で、コピーライターのアシスタントとしてスタートしました。
その後、博報堂へ転職。そこで衝撃を受けたのが、コピーライターが広告コピーを考えるだけでなく、マーケティングプランのコンセプトを考えたり、プレゼンのために企画書を書いたりしていたことです。眞木準企画室では、企画書を書いた経験がなかったので、同年代のコピーライターに自分が書いた企画書を見てもらい、勉強していました。その結果、最終的には「企画書をつくるのがうまい」と上司から褒められるレベルにまで達することができました。
博報堂には約10年所属し、およそ数十社のクライアントのコミュニケーション戦略に携わりました。博報堂でマーケティングのイロハを学んだと言っても過言ではありません。
その後、外資系広告会社のオグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパンに入社。リージョナル・クリエイティブディレクターとして日本やアジア市場のブランドのコミュニケーション戦略を担当しました。
Q. 現在の業務内容を教えてください。
イノベーションクリエイティブディレクターとして、社内外のコミュニケーション領域のすべてに関わる「何でも屋」のような仕事をしています。「乳酸菌ショコラ」の商品開発に携わることもあれば、創業70周年を記念して制作したスペシャルアニメーション『ベイビーアイラブユーだぜ』の企画・制作をすることもあります。これまでの業務に共通して言えることは、誰かからの指示や要望ではなく、何もないところから「1」をつくる仕事だということでしょうか。
Q. 入社当時からそのようなポジションだったのでしょうか?
実は、私はコピーライター出身にも関わらず、パッケージデザイン部の部長というポジションで入社しました。博報堂のOBである役員に誘われて入社。その後1年間はパッケージデザインに専念していましたが、そこから勝手に仕事の領域を広げていきました。
私はこれまで相談や依頼されたことは、ただの一度も断ったことがありません。それは「チャンスだから、断るのはもったいない」と思うからです。与えられた仕事をやり続けていても、周りからの評価はせいぜい80~90点が限界です。それを超えたかったら、さらには200点を取りたかったら、自分でチャンスをつくりだすことです。
チャンスはいろいろなところに転がっています。例えば、ガムの捨て紙のメディア化、名刺のエンタメ化、社員食堂のキャラクターづくり、新設部署のネーミング、会社案内の巻頭エッセイなど。自身の武器である「クリエイティブ力」を生かせることなら、大小に関わらず、よろこんで取り組みました。その結果、「どんな仕事も面白くしてくれる」という私の個としてブランドができあがり、仕事の領域は自ずと拡大。最終的にイノベーションクリエイティブディレクターという役職を名乗るようになりました。
Q. これからのマーケター、クリエイターに求められるスキルとは何でしょうか?
「イマジネーション力」に加え、「コラボレーション力」がこれからのマーケターには必要だと考えます。相手の気持ちや未来を描ける力が豊かなことは当たり前。さらに、マーケティング戦略の実行には多くの人が関わるのでプロジェクトリーダーとしての資質。つまり適材適所の人材を集めるスキルが求められているといえるでしょう。マーケターは、そのプロジェクトの中心人物にならなければいけませんし、自分ひとりだけでは何もできないという限界を常に認識することが大切です。
また、マーケットは常に動いています。前述の能力を生かしつつ、事前に設定した売上目標やKPIに到達するまで施策をやり続けられる力が、実はなにより大切だと思います。
Q. 若手のマーケターの方へメッセージをお願いします。
自分のやりたいことを早く見つけた方がよいと思います。もし、今いる道が違うと感じたら、すぐにでも次に乗り換えるべきです。今は「人生100年時代」。キャリアは、何度でもやり直せる時代になってきています。
ひとつの会社でキャリアを積むことにも、もちろんメリットはありますが、転職すると決めたならば恐れず、むしろポジティブに捉えたほうがいい。転職を重ねることでさまざまな経験ができますし、転職した数だけ仲間が増えます。私はこれまでに3回の転職経験がありますが、後悔は一切ない。むしろ誇りです。それぞれの会社の人たちとの付き合いは続いており、その仲間が今でも力になってくれています。