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新元号「令和」の力

メディアに携わり続けた平成の30年 広告界のゲームのルールは変わった

長尾嘉英氏(電通)

通信技術や情報機器の進化によって、平成の30年間でメディア環境は激変。電通発表の「日本の広告費」(2018年)によれば、インターネット広告は地上波テレビと肩を並べるほどの売上に成長を遂げている。平成元年に広告界に飛び込み、30年間にわたりその変遷を体験してきた長尾嘉英氏に話を聞いた。

鉛筆で企画書 バブル絶頂期の広告界

私が電通に入社した平成元年は、まさにバブルの絶頂期でした。信じられないかもしれませんが、日経平均株価が3万9000円に近づいたり、今では考えられないような好景気の時代。世の中全体が浮かれていました。

電通入社当初の10年間はラジオ局に所属し、メディアのセールス中心に仕事をしていました。各ローカル局の人気パーソナリティに出演してもらう生コマ風CM制作のため、全国行脚をしたりしていました。方言や独特なイントネーションでビールのおいしさを語ってもらうCMで、今も思い出に残っています。

そして現在、私は電通メディアイノベーションラボに所属し、急速に激変するメディア環境の動向、そしてメディアコンテンツの受け手であるオーディエンスの情報行動にフォーカスした研究を行っています。

メディアバイイング、メディアプランニング、メディアリサーチ。社歴がすべてメディアの仕事というのは珍しいケースだと思いますが、このようなキャリアを通して培われた知見は、近年手掛けている産学共同研究などにも繋がっていると感じています。具体的には、東大の橋元良明教授とは共著でネオ・デジタルネイティブ世代に関する本を執筆。千葉大の日比野治雄教授とは雑誌広告の「高級感」について、宇都宮大の長谷川光司教授とは音についての研究をしました。

私個人として平成の30年間を振り返ってみて思うのは、平成◯年というのが、そのまま入社◯年目と重なるので、計算が不要で常に分かりやすかったということ(笑)。

また、令和時代の若者には信じられないと思いますが、入社した日、Excelどころかパソコンすらなかったのです。見積書は電卓で手作業。企画書をつくる際には、鉛筆で図形の影を描き加えることさえありました。

平成はクライマックスの連続 2つの大きな変化

都市の熱狂、一生をかけても処理しきれないほどの情報洪水、IT、電磁波。こういったものにまみれて私たちは平成という時代を生きてきたわけですが、この30年間は近代的なイノベーションが一気に爆発した時代と捉えています。映画に例えるなら、バブル以降クライマックスシーンの連続と言えるくらい、メディア環境や消費者の情報行動は激変を続けています。

その中で私が考える広告界の変化としては2つあります。ひとつ目は…

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