化粧品のブランドムービーやCM撮影、ミュージックビデオのフラワーコーディネートなど、「花」を使った空間プロデュースを多彩に仕掛ける和田浩一氏。自らの屋号を「劇的花屋」と名付ける和田氏に花を生かした空間演出、コミュニケーションの考えについて話を聞いた。
年月を経てから「天職」と気づく フラワーアーティストとしての自覚
これまで1万件を超えるウェディングフラワーの注文や、メディアでも美しい装花が注目されるフラワーアーティストの和田浩一氏。カネボウ化粧品「EVITA(エビータ)」のテレビCMや、映画「アメイジング・スパイダーマン」ワールド・プレミアのプライベートディナーパーティーにおける装花、週刊『ヤングマガジン』のグラビア撮影時の装花など、広告メディアの仕事から雑誌のグラフィック撮影、イベント・パーティーの装花まで、その活動は多岐にわたる。フラワーアーティストの仕事について、和田氏は次のように語る。
「花は生きていて常に変化します。花という絵の具で絵を描くように、自分の感性でアレンジするのですが、花は自然の恵みであるからこそ二度と同じ姿はない。そういった個性を最大限に生かしながら、お客さまの想いを唯一無二の形にして提案するように心がけています」。
「花の仕事は天職」と話す和田氏だが、下積み時代の十数年は「花屋は女性の職場」という意識が消えず、長い間、本業として腹を決めることができなかった、と告白する。そんな和田氏に花の仕事を始めたきっかけを聞いた。
「普通のサラリーマンではなく何かクリエイティブなことがしてみたいと、思ってきたような気がします。80年代後半のバブル真っ盛りの頃に大学生だった私は、勉強をそっちのけで日々を過ごしていたのですが、ある日"花屋のデリバリースタッフを募集"という広告を目にし、花の配送ならと気軽な気持ちで応募したのが、人生の転機になりました」。
勤務先はホテル内にある花屋。アルバイトといっても週5日のフルタイムでの勤務だった。社員と同じ勤務体制で働く和田氏は、配送のない日は箒を片手に、挿花をするほかのメンバーを見ながら立っているばかりだったという。そんなある日「暇そうだね、自分で花を挿してみないか?」と店長に声をかけられ、ウェディングの卓上花をつくったのが、自身で花を生けた初めての経験だった。
「普通ならこういった仕事を担当するのは花の知識がある人がほとんどです。私は花の名前さえ知らないし、興味すらない。そんな私がいきなり本番のウェディングで何百卓ものフラワーをつくるのはひと苦労でした」。
それからは配送をしながら花を生ける日々に。花を生ける面白さに気づいたのは、企画の始めから任されるようになったときだ。「自分の感性で表現できる花の世界に、楽しさみたいなものを感じた」と振り返る。そうした日々を過ごすこと数年、次の転機が訪れる。和田氏の上司であり、花の世界に導いてくれた店長が、東京に初進出するウェスティンホテル東京へ移籍することになり、和田氏に声をかけたのだ。
「それまでも何度か正社員になるようお声がけをいただきながらも、いつか好きな音楽の道を試すか、世界中を旅したいと思っていたので、アルバイトのままでいたのです。しかし、外資系でこれだけ格の高いホテルのオープニングに関われるチャンスなど滅多にないことや、せっかく誘っていただいたからには責任を持たなければ、と正社員として働かせてもらうように覚悟を決めました」 …