昭和の時代に「国民的ブランド」を形成するため、大きな役割を果たしたのがマスメディアの代表であるテレビです。テレビCMがどのようにして巨大な力を持つようになったのか、ビデオリサーチ ソリューション局の國吉正章氏に解説してもらいます。
テレビCMの出稿量 バブル期に大きく伸長
昭和30年代に生まれた私は、物心ついた頃から家にテレビがあった。そこから映像や音楽を自然に享受し、暇さえあればテレビの前に座って、ウルトラマンシリーズやアニメを見ていた。また、家族と一緒に「肝っ玉かあさん」や「ありがとう」といったホームドラマを楽しみ、そこで流れていた化粧品や乳飲料メーカーのテレビCMは未だに記憶に残っている。さらに思春期になると、映画小僧だった私は映画『去年マリエンバートで』のワンシーンのような時計メーカーのテレビCMにワクワクしたことも、今も鮮明に覚えている。
そうした昭和時代、テレビCMの量(出稿秒数)はどのくらいあったのか。その推移を時系列で示したのが【図表1】だ。
1974年(昭和49年)は年間約21000千秒の出稿量があり、1980年(昭和55年)に一旦下降するが、その後にバブル期を迎えて1988年(昭和63年)まで急激に伸びて約25760千秒に達する(2015年には約27000千秒)。
1974年(昭和49年)は「オイルショック」のタイミングで、高度経済成長にかげりが見えた時期だが、その後も出稿量は伸長。特に、バブル期の1986年(昭和61)年から1987年(昭和62年)に大きく伸びている。経済成長のひとつの目安であるGDP(国民総生産)も1980年(昭和55年)頃の約250兆円から、1990年には400兆円にまで増加している。テレビCMの出稿量も、この成長と同様の傾向を示している。
昭和のテレビCMを支えた「食品・飲料」業界
テレビCMの成長を支えていた、出稿量の多かった業態を見ていく。【図表1】に折れ線グラフで表記している。昭和40年代後半を牽引していたのは「食品・飲料」で、1977年(昭和52年)には約7800千秒となる。次に「化粧品・洗剤」、「サービス・娯楽」「薬品」「家庭用品・機器」が続く。当時の「食品・飲料」は、2番目の「化粧品・洗剤」の3倍強になり、圧倒的な出稿量だった ...