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変化するメディアビジネスと広告倫理

マスとWeb、そしてユーザーのつながりをデザインする「可能性としてのキュレーション」

飯田 豊(立命館大学 産業社会学部准教授)

2016年、キュレーションメディアの運営体制が社会問題化するなど、IT産業におけるメディアビジネスのあり方や倫理観に大きな注目が集まっています。この問題をきっかけに改めて、「メディア」や「情報」「広告」というものが持つ根源的な意味や特性に目を向け、その本質を踏まえた、議論が必要ではないでしょうか。メディア・情報をアカデミックに研究をされる研究者の方々に考察を聞きました。

「キュレーション」の民主化

「キュレーション」は間違いなく、2010年代のインターネット文化を特徴づける概念のひとつである。ジャーナリストの佐々木俊尚による『キュレーションの時代』、起業家でブロガーのスティーブン・ローゼンバウムによる『キュレーション』などが相次いで出版されたのが2011年。

ネット上で断片化され、細分化された情報を収集・選別したうえで、独自の視座に基づいて再構成し、新たな意味づけをともなって流通させる営みというのが、この外来語の標準的な理解だったといえよう。この頃から「キュレーション・マーケティング」や「キュレーション・ジャーナリズム」といった用語を目にすることも多くなった。

その一方、ネット時代のメディア・リテラシーの指標、あるいは新しい情報スキルのあり方としても、キュレーションという概念が再解釈された。学校教育の現場では、いわゆる「アクティブ・ラーニング」を活性化するための前提として、キュレーションの能力を位置づけようとする議論もある(1)。

(1)安谷元伸『21世紀型能力「キュレーション」の向上を意図した教材の開発』「滋賀大学教育学部附属教育実践総合センター紀要」、2016年、24巻。

よく知られているように、キュレーション(curation)は元来、博物館や美術館などで使われていた専門用語であり、日本で「キュレーター」という肩書きは、学芸員とほとんど同じ意味合いで用いられてきた。学芸員の成相肇によれば、もともとあったcuratorという単語からcurateという動詞が派生したのは、100年ほど前にさかのぼる。

博物館や美術館という固有の場所と不可分に結び付いていた職能から …

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