トップマーケターが歩むキャリアの中でも、特に独立・起業を選んだ人は、どのようなきっかけで、あるいはどのような目的をもって、その道を選択したのでしょうか?自らの専門スキルを持って、独立・起業することのメリットとは。そして必要な準備・心構えとは。
「キャリア」を業種や職種で考えない
2016年9月に31年間勤め上げたGEヘルスケアを卒業し、B2Bhack.comを創設、BtoBビジネスをファシリテートする「BtoBハッカー」として独立を果たした飯室淳史さん。これまでに転職経験は一度もなく、営業部門やマーケティング部門の立場から、バイオテクノロジー業界に携わり続けてきた。かねてから独立を計画していたわけではなく、いわゆる「キャリアプラン」も描いてこなかったという。
「どんな業界のどんな会社で、どんな職種のどんなポジションで、どんな仕事をするか……『キャリア』というと、そういうことを思い浮かべる方が多いと思いますが、僕は一貫して、そういうキャリアは考えるなと教わってきました。なぜなら、今この世にある仕事のうち、何割が10年前・20年前に存在したでしょう?『宣伝会議』の誌面でも、10年前は『デジタル』というキーワードは出てこなかったはずです。変化の激しい今の時代、将来を予測するのは非常に難しい。3カ月先のことすらはっきりと見通すことはできない中、『こんな職種でこんな仕事をしたい』と既存の仕事を引っ張り出してきたところで、それは過去のコピーでしかなく、面白くありません」と飯室さんは言い切る。
同氏が「キャリア」を考えるときに思いを馳せるのは、自分が好きなことや得意なこと、生きがいを感じることは何かということ。そうして常に、自分がわくわくすること、誰もやったことがない新しいことを求めて、居場所を選択してきたという。
GEヘルスケア ライフサイエンス統括本部の日本のトップ、アジア・パシフィックのトップを経験したこともある飯室さんだが、それすらも、自身が望んで得たポジションではなかった。
「GEはグローバル全体で従業員数30万人・売上16兆円の大企業ですが、日本法人の規模はその10分の1程度。ヘルスケア部門はその10分の1で、私が所属していたバイオサイエンス領域はそのさらに10分の1の規模でした。つまり、日本でバイオサイエンス領域のトップになったところで、GE全体から見れば1000分の1という小さな規模の組織を任されたにすぎず、生み出している価値も1000分の1にすぎないのです。そう考えると、トップになることにそこまでの意義があるように感じられなかったのです」。
好きなことで会社に貢献し、認められる方法
飯室さんがマーケティングに本格的に関わるようになったのは、入社20年以上が経った2007年頃からだったが、マーケターの原体験は営業部時代にあった。奇しくも、マーケティングに対する反骨精神が、マーケターへの道筋を拓いたのだという。
「営業時代はマーケティングが嫌いだったんです。自分たち営業は地べたを這ってお客さまからお金をいただいてきているのに、マーケティング部門は大した仕事もせず、広告やブランドグッズなど楽しそうなものばかりつくって遊んでいると思っていました(笑)。マーケティングには頼るまい──営業独自にキャンペーンを実施するなど、営業だけの力で売上を向上させようといろいろな試みをしていたところ、マーケティングを担当せよとの辞令が言い渡されました」。
デジタルマーケティングに関心を持ったのも、ちょうどその頃。2007年から1年間をスウェーデン本社のマーケティング部門で過ごす中で、デジタルがこれからのマーケティングをドライブさせていくことを直感した。
外資系企業では、本国主導の施策を各国にそのまま横展開するのが基本だが、ビジネス構造が特殊な日本には独自の取り組みが必要であると考え、帰国後すぐ実行に移した。社内情報共有ツールやマーケティングオートメーション(MA)ツールを導入し、顧客向けサイバー大学「ライフサイエンスアカデミー」を起点としたコンテンツマーケティングを実践。コンテンツにアクセスしたユーザーをサイト内で回遊させ、MAを駆使して顧客化していくというBtoBマーケティングの枠組みを世界に先駆けて構築したのが2012年のことだ。
「最初から完全なものをローンチするのではなく、β版からスタートして、アジャイルでつくり上げていくスタイルをとりました。体系的に学んだことはないものの、コンピュータはもともと大好きでしたから、それを駆使して新しい枠組みをつくることに毎日わくわくし、夢中になりました」と飯室さん。これを成功させたことが評価され、3年後の2015年、飯室さんは、日本にいながらにしてグローバルのデジタルマーケティングを統括する「グローバルデジタルリーダー」に就任することになる。
とは言え、世界でも前例のないデジタルマーケティング施策を実行するための予算を獲得することは、決して容易なことではなかった。スウェーデンから帰国し、日本のマーケティングを統括する立場となった飯室さんの当時の上司は、アジア・パシフィック地域の責任者。当初はデジタルマーケティングへの関心は低く、「会社のお金を使って、自分のやりたいことを好き勝手にやるのはやめなさい」と苦言を呈されたこともあった。
そこで飯室さんは、上司が目指すゴールを尋ねたという。「返ってきた答えは『日本法人を世界ナンバー1にしたい』でした。そこで僕は、デジタルマーケティングの予算を倍額にしてくれたら ...