当初の予定を裏切り、ドナルド・トランプ氏が勝利をした、米・大統領選。この出来事から、日本の広告界も情報伝播、メディア環境、そしてマーケティングコミュニケーションのあり方など、これまで信じられてきた理解や手法を大きく見直すべきではないか。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏に米・大統領選からコミュニケーションビジネスに関わる人が、学ぶべきポイントを解説してもらいます。

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2者の明暗を分けた理由は?
想定外の結果となった米大統領選は、アメリカのマーケティング、広告、PR、メディアなど、コミュニケーションのプロフェッショナルたちにとっても、まさに驚愕の出来事であった。その衝撃は、巨大隕石級と表現しても過言ではなく、これまでの手法や価値観が否定され、ちゃぶ台返しのように、天地が逆転したような感覚を抱いた人も少なくない。コミュニケーション業界の常識が非常識に、非常識が常識に転じた「パラダイムシフト」の発火点となった今回の大統領選。何が変わり、これから何が起きるのか。コミュニケーション業界のプロフェッショナルとして知っておきたい『インサイト』をまとめた。
「大丈夫、クリントンは必ず勝つから」。大統領選前夜。前例のない醜い中傷合戦に辟易していた筆者にアメリカのメディアやPRの専門家はこう断言した。誰もが、ヒラリー・クリントンの勝利を信じて疑っていなかった。ほとんどの業界人が予想もしていなかった結果に、その後、さまざまな分析がされたが、如実に分かったのは、勝者と敗者をわけたのは『コミュニケーション戦略』であったということだ。これをPRと呼ぶかマーケティングと呼ぶかブランディングと呼ぶかは自由だが、いずれにせよ、2者の明暗はここで分かれたと言っていい。
シンプルでダイレクトに脳に突き刺さるメッセージング、感情を喚起する話法、徹底的な相手目線など、トランプの扇動的な話法は多くの有権者を惹きつける原動力となったが、勝因はそれだけではなかった。業界人が特に衝撃を受けているのは、これまで正しいとされてきたコミュニケーション手法が効力を失い、ツールやチャネルなど、従前のやり方や常識にとらわれない、トランプ側の「おきて破り」の手法がことごとく功を奏したことだった。
トランプへの「耐性」を高めた広告の物量作戦
アメリカの大統領選では、候補者が多額のテレビ広告を出稿することで知られているが、今回の選挙戦で、クリントンは、トランプの約3倍にあたる2億1140万ドルをテレビ広告に投じた(2016年11月2日時点)。
どちらも、お互いの資質に疑問を投げかける中傷合戦となったが、その内容について、クリントン陣営側の戦略ミスだったと指摘する声がある。差別的な発言を繰り返すトランプが、大統領として不適格だということをアピールするために、その発言シーンを繰り返し見せる内容だったが、それがあまりに大量に放映され、見る側が「慣れきってしまった」(Advertising Age)。ショッキングな内容も見慣れてしまえば感覚がマヒし、見る人は「耐性」を上げてしまう。税金や女性への侮蔑的発言も相次ぐ問題発言はどれをとってもかつての選挙戦であれば、致命傷になりかねなかったが、クリントン陣営側のワンパターンの「トランプ攻撃」の物量作戦が逆に、「既視感」を醸成し、問題視すらされなくなるきっかけになったというのだ。
「マスメディア型」で考えるターゲット設定の限界
コミュニケーション戦略の要諦である、「ターゲットを知り、そのニーズを知る」。その基本動作において、トランプは天才的な力量を発揮した。白人の主に労働者階級に眠る不満や怒りを救い上げ、その憤りに火をつけた。翻って、クリントンはターゲットを絞り込まなかった。「女性初の大統領」をアピールして、女性層を取り込もうとしたが、共感は広がらず、黒人、白人、ヒスパニック、あらゆる層に対して同様のメッセ―ジを送ったが、支持は集められなかった。価値観が多様化する中で、幅広く万人を取り込もうとする「マスメディア型」情報発信戦略はますます難しくなっている。地方に住む白人層にターゲットを絞り、そのニーズに徹底的に寄り添い、アプローチする「セグメント型」戦略が今回のトランプの勝因のひとつでもあった。
そのトランプの強力な武器となったのが、ソーシャルメディアだ。特にTwitterを通じて、自分の生の声をリアルタイムで発信し、直接支持者層との絆をつくっていったが、もう一つ、トランプシンパの重要なコミュニケーションチャネルとなったのが、保守系の新興“ニュース”サイトだ。ニューヨーク・タイムズからハフィントンポストに至るまで多数のメディアがトランプ叩きに終始する中で、数多くのトランプ寄り新興サイトがクリントンをやり玉にあげ、センセーショナルに批判を繰り広げた。中でも、移民やイスラム教徒、女性に対する侮蔑的、差別的なインチキ記事にあふれたサイトが飛躍的にトラフィックを伸ばしていった。「ローマ法王がトランプ支持を表明した」、「クリントンのメール流出にかかわったFBI職員が死体で見つかった」、「女性は避妊をするとクレイジーになる」などといったデマニュースがあふれかえり、選挙戦後半にはFacebook上で …