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2016年の社会事象をコミュニケーション視点で振り返る

広告が社会の理解を得るために必要なことを「教育」という観点で考えてみる

山本高史(クリエーティブディレクター/コピーライター/関西大学社会学部教授)

広告業界、そして広告に関わる学生の様々な事件が大きく取り上げられた2016年。それぞれの問題の背景には「広告」という産業と社会との間に意識のずれがあるのではないか。そんな仮説を第一線のコピーライターでありながら、関西大学社会学部の教授として学生に広告の講義を行う山本高史さんに投げかけてみました。教育という視点から考える、広告業界の未来とは。

クリエーティブディレクター/コピーライター/関西大学社会学部教授 山本高史氏
1961年京都府生まれ。1985年大阪大学 文学部卒。同年、電通に入社。数多くのキャンペーン広告を手がける。2006年12月、電通を退社。コトバ設立。オリンパス「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」、三井住友海上「未来は、希望と不安で、できている。」、JR東日本「Suica」、トヨタ自動車など数多くの広告を手がける。

広告はなぜ 世の中から理解されにくいのか

「広告・広告界は、なぜ一般の人から本質的な理解を得にくいのか」を考える上で、論点は大きく2つ挙げられます。ひとつは、「ある対象に学問が寄り添うことで『文化』が成立し、蓄積されていくものだとすると、広告はそうした歴史を歩んでこなかった」ということ。もうひとつは「広告の送り手の匿名性」です。それぞれ、順に説明させてください。

まずはひとつ目の「広告は文化として扱われてこなかった」というほうから。学問が寄り添っていない文化は存在せず、「オタク」であれ「古墳」であれ、それを研究する人がいたから、情報や議論は集積し「文化」として蓄積されてきました。しかし、広告はそのような道を選んでこなかった。

「広告文化」という言葉こそあるものの、単に掛け声のようにも思えます。「メディア」や「マーケティング」は装置や理論として蓄積に努めてきましたが、「広告表現」は蓄積されにくい。

広告経済的に見れば ...

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