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広告を「読む」。

「ぼくは広告に育てられた」ということ。

山本 高史(コピーライター/ 関西大学社会学部教授)

『広告をナメたらアカンよ。』山本高史著9月1日刊行

以前いた広告会社のクリエーティブ配属の新入社員は、まず1カ月間の全体研修を受けて、その後2週間クリエーティブだけの研修を受ける。そしてその最終日の講義終了後、配属先のCDがぼくらをもらい受けに会議室に来た。1985年5月の夕方のことだ。コピーライターの行き先として4つの部署があって、つまり4人のCDと対面したのだが、その中に目のぎょろっとしたいちばんおっかなそうな人がいて(この人のところじゃありませんように)と思っていたら、やっぱりその人が当たった。「ホソダだ」とその人は名のった。2CR(2クリ)という職場に連れて行かれた。あてがわれたデスクの隣はオオシマさんという人だった。TCCクラブ賞を「安全キャンペーン」でとったばかりだった。ぼくのコピーやクリエーティブのセンセイをやってくれる人らしい。その割にはぼくら若者にはあまり興味がなさそうだった。ぼくらは「新人類」とマスコミに呼ばれていた。

20人を越える大きな部だったが、まだ産毛のヒナにしてみればひと癖ありそうな人ばかりだった。中でも(どうかこの人だけはこの部の人じゃありませんように)と祈った人は、やっぱりホソダ部の人だった。そのヒノさんというコワモテの人はぼくに「オマエ、好きなコピーライターは誰だ?」と聞いた。「あまりよく知りません」と答えた。そもそもコピーライターが何をする人なのかもわかっていなかった。ヒノさんは「イトイとか言ったら殴ろうと思った」と遊びのない真顔で言った。イトイさんなら知っている。『ヘンタイよいこ新聞』の人だ。でも当時イトイさんのコピーの仕事はそんなに知らない。知らないことで助かることもある。「有名人に憧れてコピーライターになるようなヤツはダメだ」ということらしい。何がダメなのかもわからなかったので、「はい」と従順に返事をした。新人類は「はい」は得意なのだ。

ホソダさんは「デスクでくすぶってないで映画でも観て来い」と言った。仕事中に冗談かと思ったが、オオシマさんが「行くぞ」というので有楽町の映画館に行った。男二人で『ターミネーター』だ。終わったら近所のアサヒビヤホールというところに連れて行ってもらった。そこではもちろんジョッキでビールを飲むのだが、オオシマさんは小さいグラスで透明の酒を飲んでいる。問わずとも「これはアクアビットという北欧の酒で、ビールと一緒に飲めば残らないんだ」と教えてくれる。つまりオマエも飲め、だ。好奇心もあって試してみたが、何しろ度数40以上の酒である。デスクに戻る頃にはフラフラであった。

そのオオシマさんの下にぴったりついて、給料をもらいながら仕事を勉強させてもらっていたのだが、ある日ホソダさんが一人で書いてみろと仕事をくれた。新入社員の秋の頃だったと思う。もちろん自分一人でできるわけもなくコピーディレクター役の先輩が上についてくれた。その仕事の経緯は生涯忘れない。その仕事があったからこそ、広告の深さや(時には心地よい)難しさに魅かれることになった。仕事の中身は、いわゆる調味用ソースだ。お肉を炒めてそのソースをからめれば、ちょっとしたレストラン風になるというもの。そのコピーが書けなかった。打ち合わせのたびに書けるだけのコピーを書いて見てもらい、ダメ出しが出る前にため息が出た。生まれて初めてのため息だった。

その気持ちはせっかく仕事を与えてもらったのに応えられない情けなさや、その体たらくを人目にさらす恥ずかしさやいろんな劣情がないまぜになったものだったが、ほんとうの問題はもっと深いところにあった。コピーライターを始めて早々に結果など出せるわけがない。技術がないからだ。イチローだってバットを手にしてすぐにヒットを打てたわけじゃないだろう。技術は徐々に身に付ければいいのだ。そう考えるだけの計算は23歳の小僧にもできる。

技術ではなかったのだ、なかったものは。それは経験だった。

件の調味用ソースのターゲットは主婦だった。ぼくは主婦など自分の母親か叔母くらいしか知らない。どういうことを喜びと思いどういう時に痛み、料理をつくってあげる家族に対してどういう愛情を感じどういう打算を持っているのかも、想像もつかない。ひらめくということは思い出すことに過ぎない。知らないことは思い出すこともできない。

ぼくは自分の頭の中の、空っぽの水瓶(それを今は「脳内データベース」と呼んでいる)を想像した。考えるための糧とするものは何もなく、絶望的にからっからだった。それに気がついた次の日、緑色のウンチ(失礼)が出た。病院に行ったら、神経性胃炎ということだった。たいへんな仕事に就いたもんだと思った。そして己の経験という問題だけは、他人をアテにすることはできなかった。それから(たぶん生まれて初めて)一生懸命に水瓶に水を溜め始めた。(調味用ソースのキャッチフレーズは「いつもと同じお肉なのに、いつもと違うおいしさ。」。今見ればそれほど悪くないが、これは先輩がぼくの右手を持って書かせてくれたもの)

広告が、その周りにいる人たちも含めて、好きになり始めていた。毎日毎日ホソダ部の端にあった作業テーブルを新入社員の分際で独占し、コピー年鑑を(こんなの書けたらいいなあ)と眺めていた。ある仕事で書いたコピーを書いたコピー用紙(ややこしいな)の束をそのテーブルの上に置いてどこかへ行って戻ってみたら、オオシマさんがその中の一枚を持って「タカシがこんなのを書いたよ」と(たぶん嬉しそうに)触れ回っている。残されたコピーの束にも赤のダーマトで○や△が書いてある。自分の仕事でもないのに。その光景を見てにやりと笑っているヒノさんに言われた。

「自分のつくった広告を作品とか言うなよ」「じゃ何と言えばいいんですか」「人からカネもらって人のためにやっているんだろ、仕事でいい」ぼくは今でも自分のつくったものを「仕事」と呼んでいる。(そのコピーはペットマンションのもので、キャッチフレーズは「犬も歩けば徒歩7分。」。そんなによかったのかなあ)

「広告を『読む』。」などとわかったようなことを書き連ねる中年男は、かつては「緑のウンチ」だった。「昔はよかった」どころではない。「昔はダメだった」のである。30年余の間に、ちょっとは仕事はできるようになった。言うまでもなく、広告とその周辺でぼくを叱り許してくれた人たちのおかげである。水瓶では水がタッポンタッポン音を立てている。ところが年を取って経験値が高まると、「狭量」とはむしろその水瓶の隙間のなさのことだと気がつく。この連載を通して、その隙間から新しい水を放り込んで、ずいぶん自分を更新することができたように思う。

自慢話ですよ。えへへ。広告って、いいものでしょ。

最後にあたり読んでくださった方々にお礼を申し上げます。拙文など相手にされなければ霧散してしまうようなもの、やはりここでも「受け手」がすべてであります。

このような機会を与えてくださった谷口編集長、感謝しております。メシでもごちそうします。

そして担当の鈴木くん。ぼくのような凶暴な人間によく素手で相手してくれたね。キミでなければこの仕事は早々に消滅していたと思う。ありがとう。ではこのあたりで失礼します。またどこかで(できれば新刊本で)お会いしましょう。

山本 高史
『広告をナメたらアカンよ。』は、連載時と比較して150%(当社比)おもしろいですよ。

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