広告を読めば、なんかいろいろ見えてくる。例えば「勉強」のこと。

日本経済新聞社 1982年 コピーライター 竹内基臣
学生時代、勉強が苦手だった。当時の暮らしっぷりや興味の対象を思い起こしてみると、ロック4、女の子3、合気道部だったのでそれが2、その他は全部合わせてももう1しか残っていない。大学の専任教員を務める身でこんなことを告白していいのかとは思うが、勉強することはどうにも楽しいとは思えなかった(告白し過ぎである)。ただ自分の好きな分野には夢中になった。卒論をアンディ・ウォーホルで書くことになるのだが、専門(というほど深入りはしていないが)は、アメリカの戦後美術、その中でもポップアート周辺である。大量消費社会という文脈は自分も属していることからも想像や理解が容易で、美術に関する知識が乏しかったことで、むしろそれらの芸術を生ライブの社会やその構成員である生ライブの人間の有り様として受け止めることができたのではないかと思う。そんなことを当時は意識するわけもなく、「グラフィックデザインとアートはどこが違うのか」などと青い議論を繰り返したものである(この問いかけには広告の仕事をするようになって一応の答えは出せていたはずなのだが、ここに来てメディア環境の激変などで昔よりも線引きが難しい←横道)。
そんなぼくが巡り巡って、人に教える立場となった。いざそうなって考えてみると、いろいろと(ヘンだなと)気づくこともある。例えば「学生」という言葉だ。「学生」はしばしば「社会人」とセットで扱われる(明確な区別を前提に)。事実、大学生は紛れもなく学生なので(ちなみに高校生は生徒)、彼らがそう呼ばれることに違和感はないはずなのだが、先のセットで扱われるとするならば、学生は社会人ではないのかということになる。もちろん彼らはこの社会で生まれて暮らす社会人である。消費税という形で納税もしている。にも関わらず「学生」という区別は疑問を持たれることなく、「キミたちも4月からは晴れて社会人」なんてフレーズも常套句である。しかしそこに就活というある意味ボトルネックのようなものを合わせ考えれば、安易には首肯けない。就活は、学生が社会に選ばれるという構図だからだ。学生は社会人の「さなぎ」であるかのように、集団間の区別は上位下位を隔てるものだと見える。学生のするべきことは勉強、勉学に励んで社会に出る日に備えるべし、ということがぼくには大人の(学生や勉強をそういうことにしておこう)という能天気なテンプレートに思える(勉強嫌いがよく言うなあ)。
「諸君。学校出たら、勉強しよう。」は、日本経済新聞社の1982年のコピーである。コピーライターは竹内基臣さん。「ビジネスマンになったら、日経。」と抑えのコピーに見られるように、早い話が会社勤めをするようになったら「日経」を購読(購入)してください、ということ。桜の柄のヴィジュアルからも、4月のいわゆる新社会人にアプローチしている。
この広告にリアルタイムで接した記憶がある。掲載当時、大学3年生のぼくは、まだターゲットではない。しかしターゲットとはわずか2歳差、翌年には就活(そんな言葉はなかったし、スタートは4年生になってからだったが)を控える身には、まったくの他人事でもない。ターゲットと同じ若者として、時代も社会も共有している。その頃を思い返すに、とにかく「軽い」時代だった。「森田一義アワー 笑っていいとも!」が放送を開始した。東京ディズニーランドが開園した。女子は「ウッソー」「ホントー」「カワイイー」で会話をこなし、男子はおしゃれに目覚め、テクノカットでテクノポップを聴いていた。みんなルンルンしながらニャンニャンしていて、そうじゃなければネクラと言われた(誇張と思い込みあり)。自分の身に照らしても、確かにもうちょっと勉強しておいた方がいい世相だったんだと思う。世の中がある方向に傾き過ぎれば、それに反発するカウンター層が然るべき数存在すると考えるべきだ(行き過ぎが反省を生むように)。当時の時代や社会においてならば、その「軽さ」に違和感を持つ人々が、別の価値観を模索し始めた状況が推測される。それをコピーライターの竹内さんは感知して ...