広告を読めば、なんかいろいろ見えてくる。例えば「企業」のこと。

ミツカン(2004年~)コピーライター 岩崎俊一
広告は生モノである。そのことは繰り返し述べてきた。広告はそれを生む「時代/社会/人間」というバックグラウンドを持つ。だから、例えば時間がその「時代/社会/人間」を変化させてしまうと、メッセージ自体はもう消費者に正確にはミートしない。ことコピーに関しては、その「時代/社会/人間」が要求するベネフィットを約束する使命を担っているのだから、賞味期限が過ぎてしまえば、誰かの記憶に留まることはあっても広告経済的には「使い捨て」なのである。この連載で取り上げている「名作」を見ていると、その生命は永遠のようにすら思えるが、例外はない。にもかかわらず、日経BPコンサルティング「企業メッセージ調査 2014」の企業名想起率上位のものたちは、旺盛な生命力を誇る。
ぼくは本稿では企業メッセージという言葉を、「企業の姿勢、価値、意義を消費者や社会に約束するもの」として捉えているが、相手がいるのならば伝わらなければならない。かつては主に新聞、近頃は大々的にはテレビを中心に、そうでなければHPでひっそりと、いずれにしてもメディアを通して受け手=生活者、その総体としての社会にお披露目される。
そもそも企業メッセージとして策定されるものには、有効期限、ましてやそれが短命であることなど期待されてはいないはずだ。企業理念、ミッションやビジョンと呼ばれるものに近接し連携しているものだからである。約束が経営状況によって変わることを前提とされているものならば、それこそ企業の持続性を疑われる。だからこそ「長く変わらない」で「広く認められる」ことが望ましいのである。しかしその望みゆえに、企業メッセージはある性質を持ちかねない。
コミュニケーションの一般論ではあるが、もし企業メッセージが長い耐用を要求されるものならば、その言葉はある傾向を持つ。「時代/社会/人間」に沿って考えてみると、まずぱっと変わる「時代」に合わせるわけにはいかない。それは短期的に答えを出さなければならない商品広告キャンペーンの範疇である。
「社会」と企業の関係を語るのは経営の観点からも当然のことではあるが …