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私の広告観

「マッサン」とブランディング

竹鶴孝太郎

人気の朝ドラ「マッサン」のモデルで、日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝・リタ夫妻は、ドラマのような人だったのか。孫の竹鶴孝太郎さんは、「家族だからこそ、伝えられることがある」と夫妻のブランディングに取り組んでいる。

ブランディングコンサルタント 竹鶴孝太郎(たけつる・こうたろう)
1953年、北海道余市町に竹鶴威・歌子の長男、ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝・リタの初孫として生まれる。青山学院大学経営学部を卒業後、ニッカウヰスキー入社。約20年務めたのち退社し、1998年に独立し、ブランドコンサルティングを行うブランド・アイデンティティ・ネットワーク(bin)を創設。2005年にビジュアル制作大手のアマナに合流し、同社事業開発室室長(現任)。独立後はヤマサ醤油「鮮度の一滴」、日本電波塔「東京タワー」CIなどのブランディングを手がけた。

「ウイスキーの父」とともに暮らした幼少期

1918(大正7)年、ウイスキーの本場スコットランドで本格的な製造技術を学び、初の国産ウイスキーを造るために奔走した日本人と、その夢を支え続けたスコットランド出身の妻の半生を描いたNHK連続テレビ小説「マッサン」が、いよいよクライマックスに差しかかる。ウイスキーひと筋で不器用な「マッサン」こと亀山政春と、優しさと芯の強さをあわせ持つ妻エリーの織りなすさわやかな人間ドラマが人気を呼び、歴代の朝ドラの中でも高視聴率を維持している。2014年9月の放映開始以来、ドラマを追い風にウイスキーの需要を押し上げるなどの波及効果にもつながっているようだ。

「ドラマの放映が決まったのを機に、初めて(主人公「マッサン」のモデルとなった)竹鶴政孝の著書を読みました。祖父母が社会や我々家族に残したものに、改めて向き合うきっかけとなりました」。

そう語る竹鶴孝太郎さんは、竹鶴政孝夫妻の孫にあたる。政孝は、ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」と言われる人物だ。1894(明治27)年広島県生まれ。勤めていた大阪の酒造会社の計らいで、ウイスキーづくりを習得するためにスコットランドに留学した。

当時の日本はイミテーションウイスキーが主流だった。「本格的なウイスキー製造技術を学ぶことは、伝統ある日本酒の蔵元に育った政孝とって特別なことでした。スコットランドへの敬意を持ちつつ、日本人としてのプライドを背負っていたことでしょう」と孝太郎さんは語る。そこで「エリー」のモデルになった女性、リタと出会う。当時は珍しい国際結婚だった。

帰国後、洋酒メーカーの寿屋(現・サントリーホールディングス)に入社。山崎蒸溜所の初代工場長としてウイスキー製造に携わったのち、1934(昭和9)年、北海道余市町に現在のニッカウヰスキーを設立した。

夫妻には子供がいなかったため …

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