1962年の創設以来、「コピーライターの登竜門」として、若手のコピーライターやクリエイターにチャンスの場を提供してきた宣伝会議賞。挑戦者たちは、宣伝会議賞に挑戦することで、どのように広告界への道を切り拓いてきたのか。
やっとの思いで内定をいただいた、ある広告会社は、クリエイティブ枠ではなく一般枠採用だった。その後、内定していたコピーライターが、他社に流れたという噂が立った。すぐに人事にクリエイティブへの異動を願い出た。聞けば内定者20人のうち、10人以上がすでにクリエイティブを希望しているとのことだ。枠はたったの一人。それから修験者のような日々が始まった。クリエイティブのボスのもとへ自主企画を持ち込んだ。迷惑がられて、別のコピーライターの先輩へたらい回しになった。会っていただいた先輩は熱心な人だった。毎日のように課題を出していただいた。数百本書いても、ダメ出しばかりだった。夜は酒を呑みながら、朝方までありがたい説教をしていただいた。家に帰るとまたコピーを山のように書いた。翌日はまた全ボツの告知を受けた。「おまえ、根性だけはあるんだけどなあ」。内定から約半年間、いかに自分がコピーライターに向いていないかを思い知らされるばかりの日々だった。そして敗北感で迎えた運命の配属発表の日。僕の席は …
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