顧客第一主義への転換が大きなターニングポイント 進化し続けた50年
1974年、日本初のコラーゲンを配合した基礎化粧品として誕生し、2024年に50周年を迎えた「ドモホルンリンクル」。漢方の製薬会社であった再春館製薬所が、「人間も自然の一部」という漢方の考え方と、同社の科学技術を掛け合わせ、化粧品開発に挑戦したことからブランドの歴史が始まった。
ロングセラーブランドのコミュニケーション戦略
カップ酒として日本で初めて発売された「ワンカップ大関」が50周年を迎えた。新たなファンの開拓を目指し、若年層へのアプローチを強化している。
左 1964 右 2014
多種多様な銘柄が販売されているカップ酒。このジャンルを開拓したのが1964年に発売された「OneCUP OZEKI(ワンカップ大関)」。日本酒が一升瓶や量り売りで販売されていた時代に、業界に存在していなかったコップ型容器を開発するなど、日本酒のイメージを覆した。
ワンカップ大関のコンセプトは「ヤング(若年層)をターゲットに日本酒の世界を広げるような酒を作ること」。当時の日本は高度経済成長期で、人々の暮らしにはゆとりが生まれ始め、レジャーへの関心が高まっていた頃だった。コップ型容器は携帯性に優れ、時流に乗れば日本酒の飲用シーンも広がるはず。そうした思いもあり、若者に本物の味わいを知ってもらうため充填する酒は一級酒にした。
一方、「コップ酒」を提供する立ち飲み店も多く、そのイメージはあまりいいものではなかった。その負のイメージを払拭したのが“ワンカップブルー”と呼ばれる鮮やかな青地に白抜きの英文字で「OneCUP OZEKI」と書かれたラベルだ。当時の日本酒のラベルとは一線を画すスタイリッシュなデザインは、洗練されたイメージを醸成した。
日本酒業界に新風を起こしたワンカップ大関だが、大関 マーケティング部 部長の湧田浩一氏は「発売から5年間は売上が伸びませんでした」と話す。原因はまさにコップ型の形状とデザイン性の高いラベルだった。「一升瓶が並ぶ中でコップ型容器は存在感が出ませんし、ラベルはデザイン性が高いゆえに日本酒だと認識してもらえなかったようです」。
苦境打開の施策は1966年の上野駅と新宿駅の鉄道弘済会(現キヨスク)での販売開始だった。翌年には…