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広告・メディア界の礎を築いた人々

時代を牽引したデザイナー「田中一光・粟津潔」

岡田芳郎

広告費の削減や人々のマスメディア離れが言われはじめて久しいが、それでもなお今日の日本において広告・メディアの力はその強さを持ち続けている。その力は、先人たちから脈々と受け継がれてきた精神、そして技術を発展させることによって成り立っているにほかならない。先人たちの優れた功績を見つめ直し、原点に立ち返ることで、広告・メディア界の現在、そして今後を考える。

没後も確かな影響力

田中一光(1930(昭和5)年1月13日~2002(平成14)年1月10日)は、1953(昭和28)年の処女作から2002年まで時代の先頭に立ち、様々な領域で日本のグラフィックデザインをリードしたデザイナーである。2002年の死後も一光のデザインは後進に影響を与え続けている。

「産経観世能」のプログラムの表紙とポスターは、1953年から30年以上続けられた代表作のひとつで、同じテーマでありながら年ごとに変わる千変万化のスタイルに田中一光の柔軟で幅の広い表現思想がよく表れている。

「能のもつ古典的なイメージを当時のモダンデザイン感覚の中に融合」したり、「インフォメーションとしての文字そのものだけを使って、どこまで能の世界を引き出せるか」挑戦したり、「能面のもつ神秘的な美しさを強調し、スミ版のほかはすべて金を使用。赤金、中金、青金の三つの金で刷り分け、金色の持つ多様な変化を追求」しようとしたりした。

1980年春、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された「ジャパン・スタイル」展のポスターとカタログは、日本の特質を視覚的に表現した。三宅一生のジャンプスーツとお酉様の熊手を組み合わせ、現代と昔ながらの風俗の混在をシンボリックに表した。

1981年から一光がエディトリアル・デザインを行ったマツダの海外向け文化出版物「マツダ・ブックス」シリーズは、海外の多くの大学・団体から寄贈の依頼を受ける爆発的人気の日本紹介本となった。例えばシリーズ2冊目「The Comp act Culture」は、狭い国土や地域的に変化の大きい気候に適応するための日本固有の知恵を8つの章に構成し、記述した。1-畳む(着物など) 2-重ねる(酒杯など) 3-巻く(掛け軸など) 4-入れ子(枡など)5-携える(花見弁当など) 6-組み合わせる(長火鉢など) 7-雛(盆景など) 8-変わる(座敷など)という日本のコンパクトな文化を象徴する事象を写真と解説で編集した。この他、日本のハイブリッド文化、暮らしの中の超自然、町人文化など日本を理解してもらう極めて効果的なメディアになっている。

一光は数多くのブックデザインを手がけている。1983年の「亀倉雄策のデザイン」、1985年の「原弘・グラフィックデザインの源流」などの作品のデザインと共に山口瞳の小説「血族」(1983年)、白洲正子のエッセイ「近江山河抄」(1975年)、観世寿夫のエッセイ「心より心に伝ふる花」(1979年)、梅原猛著作集(1981~1983年)などそれぞれにふさわしい見事なデザインだ。

竹中工務店の「アプローチ」、モリサワの「たて組ヨコ組」などのPR誌のカバーデザイン、エディトリアル・デザインに力を注ぎ、特に「たて組ヨコ組」は、勝井三雄と交互に編集長を務め企画や編集にエネルギーを注いだ。またモリサワ・カレンダーは、「グラフィック・ポエトリー」「シンキング・カレンダー」「方言によるカレンダー」など文字とイラストによる視覚化を試みる遊び心に満ちたものだ。

東洋インキのカレンダーは1971年から長年取り組んだ仕事で一光自身 ...

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