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『魔女の宅急便』原作者・角野栄子さん「広告という魔法」

角野栄子

3月1日公開の実写版映画『魔女の宅急便』の原作者・角野栄子さん。1970年に35歳でデビュー以後、作家として活躍する角野さんだが、学生時代からグラフィックデザインや広告への造詣が深かった。

作家 角野栄子さん(かどの・えいこ)
東京生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。25歳からのブラジル滞在の体験を描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で作家デビュー。1982年『大どろぼうブラブラ氏』で産経児童出版文化賞大賞、84年『わたしのママはしずかさん』で路傍の石文学賞、『ズボン船長さんの話』で旺文社児童文学賞、『おはいんなさい えりまきに』で産経児童出版文化賞、85年『魔女の宅急便』で野間児童文芸賞など多数受賞。『魔女の宅急便』はシリーズ化し、2009年に第6巻で完結した。1989年のアニメ映画化、93年のミュージカル化に続き、2014年3月には実写映画として全国でロードショー公開。ブラジルに住む少女の成長物語『ナーダという名の少女』を2月に発売。

キキの物語を書き続けた24年

「1989年に宮崎(駿)さんの手によってアニメ映画化されて一番良かったなと思うのは、世界中の皆さんの元へキキとジジが羽ばたいていったこと。タイトルは『Kiki's Delivery Service』だった。日本の童話が世界中で翻訳されて出版されるのはとても難しいことでしょう?原作者としてアニメの人気ぶりにはすごく驚いたけど、やっぱりうれしかったわね」。

1989年にスタジオジブリによるアニメ映画化、93年に蜷川幸雄さんの演出によりミュージカル化された『魔女の宅急便』。13歳の主人公・キキが黒猫のジジと共に旅立ち、魔女として成長する姿を描くストーリーは、日本国内のみならず世界中で愛されてきた。

原作者・角野栄子さんによる『魔女の宅急便』が出版されたのは1985年のこと。その後、角野さんは24年かけてキキとジジの物語を紡ぎつづけた。2009年に第6巻「それぞれの旅立ち」でシリーズは完結し、13歳だったキキは30代半ばに。結婚を経て、双子の母親として生きるまで成長している。

そして作品誕生から28年経った今年、初となる実写化が実現。3月1日から全国で映画公開されている。「実写映画はミュージカルを手掛けたスタッフの長年の夢だったの。原作を愛してくれる人、アニメ映画が好きな人、それぞれのファンの皆さんが見たら実写化に対して複雑な思いはあるかもしれない。でもね、今回は"生身の人間が空を飛ぶ"っていう面白さをとにかく見てほしい!」。

きらきらと瞳を輝かせながら、自身の作品と登場人物への思いを愛情たっぷりに語る角野さん。一体いつから童話作家への道を志したのかと尋ねると、「実はね、文章を書くことにまったく興味はなくて。学生時代はデザイナーになりたかったのよ」と、意外な答えが返ってきた。

デザイン・広告に対する鋭い目

「デザインが美しい海外の雑誌が大好きで、学生時代からデザインの仕事に憧れていたの。でも専門の勉強はしていなかったから、まず紀伊國屋書店に就職して。本の装丁を手掛ける、ブックデザイナーになろうと思っていたのね」。

角野さんが早稲田大学を卒業した1950年代は、コピーライターやグラフィックデザイナーといった、デザインや広告にまつわる職分が確立されようとする時代でもあった。コピーライターになった大学時代の友人もいる。

そんな角野さんの記憶に最も色濃く残っている広告は、1950年代から60年代のサントリーの広告。「サントリーの広告は『モノを売るため』ではなく、『モノが持っている世界観を魅せる』ための上質な広告で、今見てもまったく色褪せていない」と評する。当時は「『人間』らしく やりたいナ トリスを飲んで『人間』らしく やりたいナ」「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」といったコピーで知られる開高健さん、山口瞳さんらが同社の宣伝部で活躍していた黄金時代だ。

「それから亀倉雄策さんや田中一光さんが手掛けた、1964年東京オリンピックの広告も好きでしたよ。グラフィックデザイナーの皆さんが表舞台に出るようになって、すごく活気づいていたのをよく覚えています。生前の亀倉さんにもお会いする機会があったけど、本当に素晴らしい方でした。そう考えると、最近のオリンピック関連のデザインはちょっと物足りないというか、イマイチねって思ってしまうの」と、ちょっぴり辛口なコメントも。

角野さんのデザインに対する造詣の深さは、のちに童話作品の挿絵を描くイラストレーターの選定、絵本作品の構成など、自身の本づくりのこだわりにもつながっている。

長女の絵からキキが生まれた

大学卒業後、紀伊國屋書店で2年働いたのち、25歳で結婚。1959年に家族でブラジルに渡る機会を得た。このブラジルに滞在した約2年の経験が、結果として童話作家への扉を開くことになる。

帰国したばかりの東京は1964年のオリンピック開催に向けて新幹線や道路といったインフラ整備とともに、国際都市としての一歩を踏み出していた。東京オリンピック後も1970年には大阪万博を控え、日本の国際化はますます加速する。そんな時勢のなか、海外経験があり現地の情報に精通している人材が必要とされていたのだ。

「大学時代の恩師から『ブラジルでの経験を書いてみないか』と声をかけていただいて。私に現地でブラジル語を教えてくれたルイジンニョ君という少年のことを子ども向けに書いたノンフィクション作品が、最初のお仕事。それで書き始めたら、だんだん楽しくなっちゃって。『あれ、私、この仕事好きなんじゃないかしら?』って気づいたの」。

この作品が『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』というタイトルで出版されたのは1970年、角野さんが35歳のときだ。その後、処女作から次の作品の刊行まで7年かかったが、物語を書くのが楽しくて仕方ない角野さんはお構いなし。子育てに励みながら「コツコツと編み物や洋裁をするように」書き続ける日々が続く。そんな中、ひょんなことから生まれたのが『魔女の宅急便』のキキのモデルだ。

ヒントを得たのは、当時12歳だった長女の絵だった。「娘がね、魔女が色々なことをしている絵を描いたことがあったの。その中にホウキから赤いラジオがぶら下がっていて、三つ編みのリボンが結んであって。三日月に向かってホウキに乗って飛んでいるシーンがあったのね。これを見た時に『ラジオを聴きながら空を飛ぶ魔女』というアイデアが珍しいし、すごく面白い!と思ったのよね」。

当時、ラジオを聴きながら勉強する若者たちが増えており、彼らは「ながら族」と呼ばれていた。「娘の絵を見て、ラジオを聴きながら空を飛ぼうだなんて『ながら族』ならではの発想だなと感心してしまって。私自身は、ラジオを聴きながら何か別の作業をするなんてとてもできない!と思っていたから。今でもそれは変わらなくて、原稿を書くときは絶対に無音じゃないとだめなのよ」。

1983年に雑誌での連載をスタート。85年に出版された『魔女の宅急便』の表紙のイラストには、もちろんホウキにラジオをぶら下げたキキの姿が描かれている。

「あの川にそって飛んでみよう。川の終りは海っていうもの」キキはラジオのスイッチをひねり、流れ出した音楽にあわせて口笛をふきはじめました。ほうきはちょうど追風をうけて、元気よく飛びつづけました。
--『魔女の宅急便』39ページより(福音館書店、1985年)


「魔女の宅急便」シリーズは2009年に第6巻で完結。シリーズ累計で218万部を売り上げるほか、世界7カ国で出版されている。

「書きたい」ことはなくならない

3月1日に公開となった実写版『魔女の宅急便』だが、角野さんは制作段階から主演女優のオーディションやロケにも立ち合った。

「もちろん、原作が好きな人にはその人なりの想像の世界があるから、なかなか実写版には満足してくれないかもしれない。でもね、今回は人間が演じるからこそ感情移入できる部分もあると思うし、キキと同じ13歳の子たちの目にどんなふうに映るか、とても楽しみ。何よりキキを演じた小芝(風花)さんが素晴らしい!将来いい女優さんになると思うわ。彼女はこの映画で"魔法"を手に入れたわね」。

映画を観たすべての人にも「魔法」を手に入れてほしいと言う角野さん。では一体、ここでいう「魔法」とは何なのだろうか?

「手に入れることで常に生き生きとしていられる、生きる力になるもの。(宣伝会議の)読者の皆さんにとっての魔法は"広告を創ること"でしょう?私にとっての魔法は"書く"ということだった。魔法はね、欲しい欲しいと思って探しあぐねても見つからない。たくさんの出会いの中で自分はこれが好きなのかも、と言えるものを見つけるには、日ごろからいろんなことに興味や好奇心を持ったり、本を読んだりと、生き方のトレーニングみたいなものをしておかないと」。

そもそも自らの意思で物語を書き始めたわけではなかった角野さん。最後に、これまで「もう書きたいものがない」「すべて書きたいことは書き切った」と思ったことはないのかと尋ねると、「ないわねぇ」とにっこり。

2009年に一連のシリーズが完結した『魔女の宅急便』だが、その後に自伝的ファンタジー『ラストラン』、そしてブラジルを舞台にした『ナーダという名の少女』を発表。現在、キキ以外の人物を主役にした『魔女の宅急便』のサイドストーリーを書き始めている。

メディアは、テレビ・雑誌より「新聞」派。毎朝、起きるとポストから新聞を取ってきて読むのが習慣だ。目下、東京新聞が「面白い、読み応えがある」とのことでお気に入り。ちなみにこのショット、角野さんの胸には、作者であるトーベ・ヤンソンが生誕100周年を迎えたムーミンの「ニョロニョロ」が。

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