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私の広告観

トム・ヴィンセントさん「広告も、人の幸せを実現するためにある」

トム・ヴィンセント

自称、“何でも屋”。日本の企業や地域、個人の“良さ”“面白さ”を広く伝えるため、ある時はコンテンツ企画から、またある時はWEBサイトなどの枠の構築まで手がける同氏。広告界でもコンテンツ重視の傾向が強まる中、同氏が感じている課題を聞いた。

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トム・ヴィンセント
企業、団体、プロジェクト、個人の「面白い」を世界に届けるための手伝いをするトノループ・ネットワークス代表。1967年英国生まれ。ロンドンの美術大学・セントラルセイントマーティンズとカリフォルニア大学で舞台芸術・脚本などを学び、1989年に初来日。1996年より日本永住。1997年に大日本印刷のオンライン美術マガジン「nmp-international」の海外版編集長に。世界初のWEBアート専用ギャラリー「c-ship」やベネチアビエナーレで受賞した建築プロジェクト「メイドイントーキョー」のWEBサイト、インターネットプロジェクト「センソリウム」など、さまざまなWEBプロジェクトに参加。1999~2006年、イメージソースの役員兼クリエイティブディレクターに。ソニー、富士フイルム、IBMなど、グローバル企業のブランディングやキャンペーンサイトを手がける。ワンショー、カンヌ サイバーライオンなど広告賞も受賞多数。バイリンガルオンラインマガジン「PingMag」を創刊。

20歳まで英国で暮らし、米国での学生生活を経て、30歳を目前にした1996年に日本に移住しました。日本で本格的に仕事をするようになって、18年目ということになります。

WEB制作が最初の仕事だったのですが、人のご縁を辿って多様な仕事に携わることができました。たとえば、「インターネットワールドエキスポ」(1996年)の日本パビリオンから生まれたプロジェクト「センソリウム」への参加や、大日本印刷のアートマガジン「nmp-international」海外版の編集は、特に印象に残っています。こうした経験を経て、もともと興味があった「デザイン」と独学の「WEB制作」、そして仕事の中で身に付けた「情報デザイン」のスキルを組み合わせて情報・コンテンツをつくり、多くの人に届けるということへの関心が深まっていきました。1999~2006年には、WEB制作会社・イメージソースの役員兼クリエイティブディレクターも務め、IBMや富士フイルムなど大手企業のWEB制作にも携わるようになり、いくつかの広告賞も受賞することができました。

一方で、日本全国各地の地域活性化のプロジェクトにも参加。徳島県神山町のNPO法人グリーンバレーと一緒にWEBサイト「イン神山」を企画し、後にサテライトオフィス事業となる空き家プロジェクトを企画。2012年に開催された「テマヒマ展〈東北の食と住〉」や、長岡参監督のドキュメンタリー映画『産土(うぶすな)』、NHK大河ドラマ『八重の桜』の11月のオープンニング映像など、暮らしと共にある「人」に焦点を当てた映像の監修や編集を行っています。

2013年8月にスタートした「Toyota Bamboo Project」も、情報・コンテンツづくりから携わっている事例。愛知県豊田市の山間部で放置され荒れ果てた竹林を整備し、伐採・収集した竹を商品化・販売するという、地元産業を創出しようとする取り組みです。竹を素材としたビジネスは人件費や配送システムの問題で日本では難しいとされていますが、これは今までになかったコンテンツ次第で解決できると考えています。

一見「何でも」やっているようにも見えますが、どのプロジェクトにも共通するのは、そこに暮らす「人」の「したい」という思いが存在しているということ。僕が編集長を務める、日本の情報やものづくりを世界に向けて発信するバイリンガルオンラインマガジン「PingMag」にも以前書いたのですが、八百屋でよく見かける野菜や果物の段ボール箱は、デザイン性がどうであるかなど問題ではなく、生産者の「売りたい」思いがデザインされていることで、強い訴求力を持ち得ています。「人」を中心に考えることで、コンテンツは強くなる。僕はそう考えています。

「コンテンツづくりから、それを届けるメディアの立てつけまで何でもござれ」というスタイルは、イメージソース在籍時から、2009年の独立後、現在に至るまで変わっていません。トノループ・ネットワークスの事業内容は、日本の企業や団体、個人の「良いもの」「面白いもの」を世界へ届けるお手伝いをすること。伝える手段はWEBに限りません。伝えたいストーリーがまずあって、それを伝えるために必要なことは何でもやります。コンテンツが必要ならコンテンツを作るし、コンテンツはあるのに枠がないのなら、枠を作る。編集者、パブリッシャーという肩書きが、一番しっくりくるでしょうか。

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ヴィンセントさんの取り組みは、WEB領域にとどまらない。愛知県豊田市で2013年8月にスタートした「Toyota Bamboo Project」は、手つかずになった竹林を整備、伐採・収集した竹を商品化し、販売するというもの。山を管理し、地域環境を保全しながら、地元産業を創出する取り組みだ。

コンテンツづくりの中心は「人」

英国と比べ、日本の広告は驚くほど洗練されていると感じています。クリエイティブの質だけを見ると、英国のレベルの高さは群を抜いていますが、それが広告として有効に機能しているかは別の話です。日本は、クリエイティブのレベルが高いものから低いものまでさまざまな広告が存在していて、奥行きがある。なぜ日本では“ダサい”広告も許容されているのかというと、それはターゲットに効くからにほかなりません。日本人に何が響くか・刺さるかを、深く理解している証拠なのだと思います。

すでに多くの人が議論していることですが、コミュニケーションは「人」を中心に考えられるべきだと強く思っています。商品の機能がいかにすごいかということより、その広告を見た人に「どう感じてほしいのか」「どんな幸せを届けたいのか」を考えるべきです。商品開発者は商品そのものを深く追求すべきですが、商品企画や販売、広告・宣伝に携わる人は、人と向き合い、深く見つめなければなりません。企業コミュニケーションも人と人との関係と同じ。見た人に「この商品・ブランドの世界観の仲間になりたい」と思ってもらい、好きになってもらうためのものです。

僕は、商品企画もコミュニケーションも、「コンテンツ」を起点に発想する必要があると考えています。(手元のICレコーダーを指して)たとえばこのレコーダーにとって一番重要な要素は「録音できる」という機能、つまりコンテンツです。録音できなければ、いくらかっこいい見た目でも、手軽に持ち運びができても、意味を為しません。商品であれば使い手、広告であれば受け手にとって最も欲しいもの・重要なもの、つまりコンテンツからスタートしなければ、失敗します。

「サイトを作ったけれどコンテンツがない」「情報を発信したいが、発信する情報がない」という声もよく聞きますが、順番が間違っているのです。アドテクノロジーをはじめ広告枠を作る技術の発達スピードがあまりに速く、コンテンツを作る技術の発展が追い付いていないのかもしれません。自社のターゲットにとって必要なことは何か。それを提供するために、自分たちがやるべきことは何か。それを突きつめて考えることが、情報発信・コミュニケーションの第一歩です。

僕は、広告の中でも、特にローカル新聞の広告が好きなんです。なぜなら、“売らんがため”のものではないからです。地元で自動車修理工場や美容室を選ぶのに、新聞広告を参考にしている人は実はそう多くないはず。そういう時に頼るのは広告よりも、むしろ口コミでしょう。ですから、あの広告は、たとえば「鈴木モータース」であれば、「鈴木さん、広告なんて出して、頑張っているね」と地元の人に思ってもらうためのものだと思うのです。とても人間臭くて、チャーミングです。

僕は個人的に、この“人間臭さ”にこそ、日本の魅力があると思っています。僕は、実はいわゆる“親日家の外国人”とは違って、もともとジャパニーズカルチャーに興味があったわけではなかった。むしろ、学生時代に旅行で初めて来日した時は、社会ルールや文化・慣習に違和感ばかり覚えて、日本があまり好きではなかったのです。そのネガティブ感情を変えたのは、宿坊での宿泊体験でした。寺という、人の住まう家に泊まるというアットホームな感じが新鮮でしたし、祈りの場のすぐ傍で日常生活が営まれている、何とも言えない“人間臭さ”に魅力を感じました。また新潟にある、友人の親戚宅を訪ねた際に近所の人が開いてくれた“Street Party”も印象深い体験でした。当時、そんな片田舎に外国人がやってくるなんて物珍しかったのでしょう、住宅が立ち並ぶ道のど真ん中にテーブルをずらりと並べ、持ち寄った酒や食べ物をいただくというシンプルなもので、決して豪勢なおもてなしではありません。でも、そんな日本の温かさや人間臭さ、人間のだめなところ・恥ずかしいところも全て受け入れるような懐の深さに強く惹かれたのを覚えています。この感覚が気になって、何度も日本を訪れるうちに、魅力的な日本文化の数々に出会い、日本への永住を決めることにもつながっていきました。

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地域や企業、個人の「良いもの」「面白いもの」を発信し続けるヴィンセントさんは、良いコンテンツを生む鍵は、作り手自身が楽しむことだと話す。

作り手自身が楽しむ

今、日本の広告界で問題があるとすれば、広告主とメディアの関係性なのではと考えています。世の中に展開されるメディアコンテンツには、タイアップ企画が多く含まれています。もちろん、優良な企画もたくさんあるのですが、なかには広告主とメディアとの関係が健康的でない状況で作られるものも、少なくないように思えます。そういう関係性は、コンテンツを通して読者や視聴者に見透かされてしまうもの。不健康な関係性を脱却し、もっと骨のある企画を作らなければ、広告全体の価値が下がってしまうのではと危惧しています。人気アイドルが出演するバラエティ番組を見たい人ももちろん多くいますが、一方で、政治に鋭く切り込んだり、芸術を深く読み解いたりする番組を求めている人も実は少なくありません。

企業はまずメディアを信頼し、メディアの作法を知る必要があります。そして制作側は、その信頼に全力で応える。良好な関係のもと、人々が本当に求めるものを考えて形にしていかなければ、優良なコンテンツを制作するスキルを持つ人材はどんどん減っていきますし、また前例がないものを企業側は依頼しにくいので、そうした骨太なコンテンツがますます減っていってしまう。その悪循環を、ぜひ断ち切ってほしいと思います。

僕の経験上、作り手が楽しんでいれば、たとえ低予算でも、良いものを作ることができます。予算の話は別として、『あまちゃん』があれほどまでに支持されたのは、宮藤官九郎さん自身が心から楽しんで作っているということも多分にあると思います。そうして作られたものは、不思議と皆が好きになってくれるものです。

マーケティング・コミュニケーションにおいてコンテンツを重視する傾向が強まっていますが、一方で懸念されるのはそのコンテンツが記号化・形骸化されてしまうことです。たとえば、「シャンプーの広告と言えば、こんな感じ」「デジタルデバイスのかっこいい写真のアングルと言えばこれ」といった具合です。世の中に多く出回る情報・コンテンツは、記号化されすい傾向にあります。記号化された情報・コンテンツは、相手に理解・納得してもらうことはできるのですが、心を強く揺り動かすことはできません。むしろ、同じような情報に何度も触れることで、見る人に飽きられてしまう可能性もあります。すると、本当は良いものなのに、その真の魅力が伝わらなかったり、価値そのものを下げてしまうことにもなりかねません。

自治体も企業も個人も、自分ができることを起点にするのではなく、何がしたいのか・何をすべきなのかを起点に考えるべきです。さらに、その商品やコンテンツ、広告によって、“人の幸せ”が実現されるのかを、今一度見つめ直す。そうして生み出されるコンテンツが、「良いコンテンツ」として、多くの人々に愛されるのだと思います。

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