IOCがマーケティングに力を入れるようになった現在と1964年当時では、オリンピックに関連した広告・販促キャンペーンの実施可能範囲は全く異なるものの、第1回東京オリンピック時の宣伝アイデアにはユニークなものが多くある。そんな事例を紹介する。
生活が変わる時、商品広告も活性化
家電各社も最高の販促、PRチャンスを迎えた。東芝は「世紀のシーンを狙うテレビカメラ その感激を受けるテレビ...技術は一つ、東芝です」(1)と全ページ広告を出した。(1964年8月3日、毎日新聞)。「その日のために―ハイルックテレビ 東京大会は、おそらく一生に一度の祭典です。これを観戦するお宅の準備はいかがですか。もう1台、とお考えなら<送る技術>から生まれた東芝テレビ<ハイルック>をお選びください。その性能は4年前のローマ大会当時にくらべ、グンと進歩しています」とコピーは語り、8月13日の読売新聞に出した広告には「25年前、惜しくも流れた東京オリンピックのために、いち早く送信機やテレビを完成。この技術が高性能ハイルックを生んだのです」と長年の技術の集積を訴えている。
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